新宿土着ライブハウスの矜持
猪狩剛敏(新宿レッドクロス店長)インタビュー

文責:中野哲
取材日:2020年4月11日(土)

東京メトロ東新宿駅から徒歩5分、歌舞伎町を向かいに臨む新宿6丁目の明治通り沿いに店を構える新宿レッドクロスは、2003年8月にオープンした。新宿で生まれ育ち、伝説的なロックンロール・バンド「THE STRIKES」のメンバーとしても知られる猪狩剛敏氏(以下、敬称略)が店長を務める当店は、TheピーズやTHE COLLECTORSといった大御所ロックバンドが多数出演してきた一方で、毛皮のマリーズやOKAMOTO’S、THE BAWDIES、go!go!vanillasといった気鋭のバンドも数多く世に送り出してきた。

店内には中華風ナイトクラブとも言えるような独特の世界観が広がっており、花柄の壁紙、シェードランプ、緞帳代わりのシャッターなどの内装が目を惹く。ステージ上には、こだわり抜いた特製のギターアンプが並んでいる。約5mのロングカウンターから様々なドリンクやフードが提供され、カクテルの種類は実に100種類以上に及ぶ。

レッドクロスでは3月27日以降、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、全てのライブイベントを中止し、臨時休業を続けている。キャパ約150人のホール内にただ一人、いつもならライブを見守り、自らドリンクを提供するはずのロングカウンターのそばから、店長の猪狩(下写真)がオンラインでのインタビューに応じてくれた。猪狩はキッパリとした口調で、土着の東京弁を操りながら、店の現状や今後、さらには自身のルーツやライブハウス観についてもたっぷりと語ってくれたのだった。

当初1時間程度の予定であった取材は、最終的に約3時間にも及んだ。残念ながら、今回の原稿では割愛せざるを得なかった興味深い逸話も少なくないことをご容赦いただきたい。なお、このインタビューを始める際に、猪狩は日々刻々と変わる現状のなかで「これは2020年4月11日現在に思っていること」であるということを強調していたため、ここにも記しておく。

 

「音は止めない」という覚悟からの転換

レッドクロスが臨時休業に踏み切ったのは3月27日のことだった。しかしながら、当初は強い意志のもとに、営業続行の方針をとっていたという。

猪狩剛敏(以下、猪狩):2月後半から3月中盤くらいまでは割と、正直コロナをなめていたというか。コロナウイルスって結局、「だって毎年インフルエンザあるしさ」「若者はなんか軽いんでしょ」「症状出ない人もいるじゃん」「店を営業するのに差し支えないんじゃないか」みたいな情報をさ、自分たちの中で、ポジティブというのとはちょっと違うのかも知れないんだけど、その情報にすがってたっていうかさ、「なんだこんなの大丈夫だよ」っていう。

それで方針としては、うちの店はスタッフで確認して、「いやいやこんなの音は絶対止めないよ」っていう、「何言ってんの?」「感染症なんて毎年あるしさ」っていうような感覚で。やっぱり文化の担い手という自負はあるから、「こんなことで音は止めねえよ」っていう風に、そういう方針でやってたんだよね。3月の20日くらいまでかなあ。

3月半ばくらいには、「補償してくれるのであれば店を閉める」っていう風に言い出してたお店も多分あると思うんだけれど、その時点では自分はちょっと認識は違っていて、「できるし、やるべきだし、やっていい」と強く思ってたんで。音を止めたくないから。だから、補償があれば店を閉めるとは思ってなかった。正直言って、その時点ではね。

営業続行の方針をとりつつ、2月の段階で猪狩は全てのスタッフと話をし、皆それぞれ抱えている事情があるだろうから、無理して店には出てこなくて良いと伝えたという。

 また、キャンセルを希望するバンドに関しても、全面的に受け入れることを決めた(但し一件、懇意ではない主催者のホールレンタルのキャンセルがあり、この際は振替公演をお願いしたが、先方のスケジュール上振替ることができなかったため、結果的にレンタル料半額の支払いを依頼したという)。

 3月に入ると、バンドのキャンセルは徐々に増えていき、イベントが飛んでしまった事例も4本あったが、何とか自分たちで新たなイベントを組んでやりくりしていたという。大阪のライブハウスでのクラスター発生の報道がされたこともあり、消毒液を用意したり、バンドの転換毎に換気を行ったりといった対策も行っていた。

 しかしながら観客数は減少し続け、毎日ドリンクカウンターからライブの様子を見守っている猪狩の体感としては3月初旬は2、3割減ほどであったが、20日過ぎになると7割減ほどになっていたという。

 その後、3月27日には一転して休業に踏み切ることになるが、そのきっかけとなったのは同月25日の小池都知事の会見であった。この会見のなかで小池知事は、現状を「感染爆発の重大局面」として捉えているとし、都民に「週末の」外出自粛を呼びかけた。

猪狩:あそこで完全に潮目が変わったというか。あそこで色々考え、次の日のお昼にスタッフと集まって、みんなで考えて。

うちの店ね、3月後半から4月頭に、平日でソールドアウトのイベントが4本くらいあったのね。それを考えた時に、コロナが平日お休みってことはないので、自粛要請ってのが週末ってことで、まあライブハウスにはなるべく平日もってことだったけど、結局うちは週末より平日のほうが人を集めてしまうってことがわかっていたんで。それってライブハウスにとっては本当に稼ぎどきだったんだけども。

だから都知事の要請とか国の要請というよりも、これ、週末休んで平日に店を開けるってことの方が、ちょっとまずいんじゃないかって思っちゃって。お客さんの人数を考えた時にね。そうした時に、もう本当に、これは閉めようっていう風に決めたのよ。

何よりも絶対やめなければいけないと思った一番大きかったのは、やっぱ安倍さんも小池さんもそうだけれども、自粛という形で要請したじゃない?その時に、自分たちは2月26日(筆者注:この日、政府は国内のスポーツ・文化イベントを2週間自粛することを要請した)あたりでは「ふざけんなよ」と思ってたんだけど、結局レッドクロスがやってることっていうのが、「イベントどうしましょうか、やりましょうか」って出演者に意見を聞くことをしていたんだよね。

そうするとバンドだってさ、「いやいや絶対やんないよ」っていう風に強く言えるバンドだったらいいんだけれどもさ、「ライブハウスがせっかく声かけてブッキングしてくれたのに、今この厳しい状況で自分たちがやらないと店の経営が苦しくなる」っていう風に、バンド側も色々忖度するんだろうなと思って。

やっぱりバンドとライブハウスとお客さんって三位一体みたいなところあるじゃない。イベントをやる時に、一番大切なお客さんも、結局「自分は行かない」って思える人はいいけれども、「あのバンドがやるんだったら怖いけど行こう」とか思っちゃう。で、結局この期間誰も楽しくできないのは分かっているけれども、ちょっと度を越えちゃってるんじゃないかなっていう風に、やっぱ26日に俺思ったんだよね、本当に。

もうちょっとこれは限界、だから安倍さん小池さんみたく委ねるんじゃなくて、自分で判断したいっていう風に。レッドクロスとしてバンドに対して、全てのイベントを中止するってことをやっぱ言わないと、結局は自分たちが批判してる行政がやってるようなことと同じになってしまうなって思ったんで。

だから、平たく言っちゃうと、自粛要請に応じたというよりは、自分たちでもうこれやめようっていう風に、週末云々かんぬんとかじゃなくて、平日含め、もうこれはライブ中止しなきゃダメだなという風に思ったっていうことだよね。それで、たまたま27日がソールドアウトのイベントで、それはバンドと協議したんだけれども、中止しました。

でも(その後のイベントも)全部、中止したいんだけれどもっていう形で、こっちから中止要請という形で協議して。ただその時に、もし一バンドでも「いや何言ってんですか」とか「こっちは死んでもやりますよ」っていうような話があったとしたらその時はどうしようかっていうのは考えてなかったけれども。でも皆さん割と、「良かった」「ほっとした」とか、「当たり前ですよね」っていう感じだったのよ。

こうして、レッドクロスは「音を止めない」という強い意志から臨時休業へと大きく舵を切るに至った。3月26日に休業についての話し合いをした時、当初ブッキングのスタッフは営業続行の意志を示していたという。

猪狩:話し合いをした時、今うちでブッキングやってる3人が、「どうする?」って俺が聞いた時に、強い決意で「やります」って言ったの。「絶対やります、音は止めません」って言ったの聞いて、逆に俺は安心して自分の考えというか、店を閉めましょうっていうことが言えた。

経営の側が、補償もないから少しでも売り上げとかを考えて、例えば「ここまでやろうぜ」みたいなことを言って、スタッフが「いや怖いです…」っていうのが、なんかよくありがちなパターンだなって思ったんだけど、うちはスタッフが強く「やりましょう」って言ってくれたんで、逆に、「ありがとう。わかりました。じゃあやめよう」っていう風に言えた。

そこからスタッフを説得するために、うちは平日の方がソールドアウト出ちゃってるから、「これ辻褄合わないよね」っていう。で、それで土日閉めるってことは、補償もなきなかで自粛要請に応えた、まあ悪い言い方したら屈した店になっちゃうから、俺はそれは絶対嫌だっていう。「ちゃんと考えよう」って言って。お客さんだって怖い、バンドだって感染者を出した時に「なんでやったんだ」って言われる危険性を考えたら、これはやめるべきだよって。

俺はやっぱり土日をやめるっていう選択は、自分の中にはないので、もし要請にしたがって土日やめるって言うんならば、平日も絶対にやめるっていう。それはみんなが「音を止めない」って言ってくれたから、そういう強い意志があったから。何にも考えないで言ってるんじゃないよ?今はそんなこと誰一人言わないと思うけど、3月26日の時には、「音を止めたくない」ってみんなが言ってくれたから、俺は「やめよう」っていう風に言えた、本当に。矛盾するけれども、うん。みんなにもう、ありがとうっていう。スタッフに感謝だよね。

 

ライブハウス、ミュージシャンと社会と

休業に入る前の最後のライブは3月26日、ザ・ビートモーターズのワンマンライブであった。このライブはもともとツーマンを予定していたところ、対バンがキャンセルとなった公演だった。この日の出来事も猪狩には大きなインパクトを与えた。

猪狩:もう16年くらいやってるバンドだから、人気のあるバンドなんだけれども、来たお客さんがね、20数名だったのね。で、お客さんが来なかったっていうのは、別にこういう時期だから構わないんだけれども、そのバンドを支えてる、すごい初期からいるコアなファンっているじゃない。そのバンドが15周年の時も、みんなでメッセージカードとか作って、スタッフにも「これ書いてください」って言ってくれたような人が3人くらいいるんだけど。

その日、そういう人たちが軒並み来なかったのよ。で、一人、メッセージカード書く時にやりとりした女性ファンの連絡先を知ってたんで、連絡したら、「もちろん行きたかった」と。「ただ、会社で『ライブハウスに行くな』と止められている」と。で、「自分は黙って行くことは可能だったけれども、やっぱり自分も社会人なので、その規定を守って泣く泣く行けませんでした」って。

その声は大きかったね。これはもう本当に、こんなことまでお客さんに思わせて、やっぱ来てる人だっておっかない思いして来てる人もいるかも知れない。なかには「全然関係ねえぜ」っていう人いるかも知れないけれども、来ない人のなかでそこまで辛くなってる人たちがいるっていうのは、もう、ね。

ライブハウスでのクラスター発生の事例が報道されたことにより、特に3月以降、一部の人々からはライブハウスやミュージシャンへのバッシングの声が上がり、風評被害が相次いでいた。この件に関して、猪狩は次のようにいう。

猪狩:3月の半ばくらいだったんだけど、(出演者の)ロック系の弾き語りの女の子が店来るなり言ったのが、今ギター持って電車乗ってたら10分くらい絡まれたと。「お前みたいな奴がいるからコロナが撒かれるんだ」って言われて、最後、駅員さん呼んだって言ってたよ。ちょっと本当に、ひどいなっていう。

そういう風評被害みたいなのがあるっていうのがだんだん分かってきた時に、本当、悲しかったよ。なんでここまでライブハウスが名指しで言われるのかって、やっぱり思った。で、安倍晋三の口から「ライブハウス」っていう単語が出た時に、本当に気持ち悪かったし、本当に悲しかったね。

でも俺もさ、結構大きい、120世帯くらい入ってるマンションに住んでんだけどさ、やっぱりギター背負って、エレベーターで人と乗り合わせちゃったりすると、「あっこんにちは」とかもちろん言うけれども、心の中ではもう本当に「ギター背負っててすいません」みたいな気持ちには日々なっちゃってたね、正直。だからと言って、自分が何か言われたことはないんだけれども。

ただ、絶対に人を攻撃はしたくないっていうのと、あとこれはスタッフにもお願いしていたんだけど、SNSとかで、例えばライブハウスを名指しされて言われてるからって、「じゃあ満員電車は良いのかよ」とか、「パチンコ屋は良いのかよ」とか、「ジャンボジェット機どうなってんだ」とか、そういうことを言うのはやめようよっていうのは言ってた。

「ライブハウスって言われてるけど、満員電車のほうが危ねえだろ」みたいな発言は内輪ではするけれども、やっぱり名指しされて槍玉に上げられてる人間が、他業種を名指ししたら同じだから。槍玉に上げられているからこそ、人を槍玉に上げたり、「うちが言われるんだったら、あそこなんで言わねえんだよ」って言い草は本当にやめようよっていう。

とにかく優しくなろうっていう。攻撃するのはやめましょう、っていうのはスタッフ間で初期段階に話したことだよね。だけどそれはまあ、安倍晋三とか小池都知事がどうのこうのっていうのは全然言うけど、やっぱり他業種だったり、人を攻撃するのはやめようっていう風に。

ただ、ただだよ、自分は自転車通勤だからあれだけど、もし自分が電車とか乗って、もしギターを持ってる子とかが何かそういう風に言われてる場面に遭遇したとしたら、もう相当許さないと思う。絶対人を攻撃しないっていう風に思ってても、やっぱりすごい溜まってるものはあるんで。ストレスはすごいあると思うのね。だから、何かそういう場面に出くわしたら多分それは爆発しちゃうと思う。抑えてはいるけれど。まあたまたま自分はそういう場面に遭遇しなかったからね。

 

急激な状況変化のなかで

自分たちの意志で休業を決断するにあたっては、心苦しい思いもあったという。猪狩の頭にあったのは、仲間のライブハウスのことだ。

猪狩:これ変な、チキンレースみたいな呼び方は良くないけれども、やっぱり仲間のライブハウスってあるじゃない。まあどこだってわけじゃないけれども、仲間のライブハウスも厳しい状況のなか営業している中で、レッドクロスってちょっと早めにやめちゃったと思うのね。

例えば、イベンターが噛んでいてライブハウスをブッキングしているようなお店っていうのは、イベンターが割とベタオリしてたんで、早くからやめたところっていうのはあったと思うんだけど、うちみたいな小箱で、自分たちで手打ちしているライブハウスっていうのは、判断は自分たちに任されていたんで、割とみんな頑張って…頑張ってという言い方はあれだけど、やっていたんだけれども。

自分たちがやめるってなった時に、仲間のライブハウスはほぼ営業をまだ続けようとしていたんで、その時に何か、足並みを乱してしまうんじゃないかなっていう。一店舗やめた、で、次ここやめた、次ここやめた、ってなると、残っている人たちの心細さというか。

本当はコロナウイルスっていう大事なあれがあるから、そんなこと言ってる場合じゃなかったのかも知れないけども、何かこう、空気読む的な部分も非常にあって。「みんなで頑張ろう」みたいな空気が、暗黙の了解でやっぱあったので。

本当にまだ営業を続けようとしている仲間のライブハウスに対しての、やめてしまうことの影響というか、俺が影響力が強いっていうことではなくて、影響は少なからずあるだろうなとは思ったんで…だから他の店に対して申し訳ないっていう思いが、本当にあったよ。

臨時休業に入ってから、インタビューを行ったこの日までには既に約2週間が経過していた。その間に、政府は緊急事態宣言を下し、都内のほとんどのライブハウスは4月初旬から臨時休業に踏み切った。臨時休業開始後の心境の変化について、猪狩は次のように述べている。

猪狩:27日から店は営業してないんだけれども、中止した公演のチケット払い戻しとか、イベントの振替とかそういう様々な業務があるんで、やっぱり店には来なくちゃいけない。で、自分とブッキングマネージャーの菊池が、店には来ているんだけれども、その時にがらんとした、もう音も鳴らないレッドクロスのなかに座ってさ、業務をするんだけどさ。

強く思ったのが28日かな。2日目に、本当に自分、掌返しちゃったように、「ああ、コロナって大変だな」ってやっぱ思ったのよ。「このウイルスは大変だな」っていう風に。うん、本当に掌返しちゃったんだよね、自分。

それで、街の景色もちょっと自分の中で変わっちゃったっていうか。今までだったら普通に出社してたんだけれども、それが、すれ違う人とか「この人たち大丈夫かな?」とか(思うようになった)。自分も不要不急ではないから店には来てるんだけれども、「本当にみんな大丈夫?」とかさ、急に考え出しちゃったんだよね。

店をやってる時っていうのは、やっぱさっきも言ったように、コロナに対する「軽症なんではないか」「楽なんじゃないか」「発症しないんじゃないか」っていうところをすごく大きく捉えてて、大丈夫だっていう風に思ってたんだけど、やめてみたら、荷物を下ろしたら、「いやいやこれは本当に、やばいよ」っていう風に。

それで、がらんとした店を見て、やっぱりこれは、補償があるべきだと。絶対あるべき。とにかくこれは本当に補償しないことにはもうはっきり言って、お店、潰れるんで。で、さっき俺言ったけど、3月半ばくらいまでは、「補償があればみんな(イベントを)やめる」って言ってた人いるけど、その「みんな」のなかに自分たちは入ってないって俺は思ってたのね。音は止めないって思ってたから。ただ、本当に3月の末の頃にはとにかく「補償して、世の中の全部の店がやっぱ閉めないと」って(思った)。

一応うちは都とか国の言ってることに沿って、5月の6日までは店を閉めるっていう発表をしていて、5月の7日から再開を目指すとは言ってるけれども、実のところ、「これ5月無理だろう」とか、「6月も無理なんじゃないか」っていう風にブッキングしているというか、そう思っているっていうか。「もう6月がダメなら7月、それがダメなら8月」っていうような感覚にはなっちゃってるよね、実際。5月の7日から店ができるなんて、全く思ってないから。

5月の7日以降は、今まで組んできたものが振替ということで、いい感じでうちの店は埋まってはいるんだけれども、これがまたできない、また振替、またできない、また振替となると、もうそういう事態になってきたら、ちょっと怖いというんじゃないけど、もうバンドの人だって本当、ねえ…ちょっと分かんなくなってくるもんね。みんなねえ。

でも何回でも振り替えようと思って。うん、だからこれは本当に悪いのは、こうなってくると…まあ国も悪いとは思うけど、やり方はまずいとは思うけど、決断力も判断力もないので…だけれども、根本的にはコロナなんで。ウイルスの話だから、っていう感覚は持ってる。

また、店で働いているスタッフの現状について尋ねると、猪狩は次のように答えた。

猪狩:アルバイトでうちに入ってる子達っていうのはシフト制になっていて、6月30日までのシフトを作っていました。決まったシフトまではうちの社はもちろん給与補償はするつもりで、この作ったシフトをもとに、今、行政に休業補償みたいなのを人件費に関してしてくれっていう交渉をしてるけれども、それに関しては、遅れて数ヶ月後になる可能性もあるじゃない。

なので、社長がすぐ動いて、知り合いのビル掃除のバイトとかを頼んで、何人か受け入れてくれるってことになって。それで男性スタッフはそのアルバイトをしつつみたいな。それでこれがどのくらい長くなるかわからないので、行政から支払われる分とプラスしてっていう風にしてしのぐしかないかな。

例えば行政とかに提出する書類とかも、スタッフの住んでる川崎とかまで行ってハンコとか貰ってくるからね。スタッフの最寄駅とか、家まで行って回ってくるとか、そういう作業ばっかしてる。

まだ行政には受け付けてもらってないからさ。この書類じゃダメだとか、この期に及んでだよ?もっとこれを出せとか、もうコロナで不要不急で出るなって言ってる側がオンラインであんまり対処しないでさ、窓口に人を並ばせてさ。で、社長の鈴木がそっち行って、俺が書類集めてるみたいなそういう感じ。こんな世の中なのに、全部ネットでやれよって話なんだけれど、うーん…。

それも、今休業が始まったばっかりなので、スタッフもまだそんなに切迫してないとは思うんだけれども。で、うち妻帯者が数人いて、たまたま奥さんもみんな共働きで働いていて、奥さんのほうは全員まだ仕事があって。まあ割と堅い仕事ついてるから。それにバンドマンと結婚してくれるような奥様だから、「大丈夫だよ」って、みんな結構仲良くやってるとは言ってるけど。

 

レッドクロスの経営状況

■3月27日に店を閉めて以降、この日までのレッドクロスの売り上げはゼロである。また、3月期の売り上げは前年比では約58%減となった。 

平常時におけるレッドクロスの経営のスタイル、そして現在の状況が続いた場合どのくらい店が持ち堪えられそうかといった今後の見通しについて、猪狩は次のように述べる。

猪狩:ここのライブハウスってのはさ、俺カウンターに立ってるじゃない。で、他のライブハウスとちょっと違っていて、一応俺は店長という形ではあるけれど、うちは「sputniklab(スプートニクラボ)」っていう会社が運営していて、社長は鈴木っていうんだけど、やっぱり自分は鈴木と一緒に作ったんで。それで、まあ言ってしまえば、経営陣がカウンターに立ってる、みたいな店なのよ。

うちの店は大きい会社がついてないんだけれども、全てのスタッフに「社員になりませんか」っていう誘いをずっとしていて。立ち上げた時は10人中10人が社員で始まったライブハウスなのね。それで、社員が辞めていくときにも退職金とか払っていったり。まあ17年前にオープンしたんで、あの震災以前なので今よりも割と売り上げの状況も良かった時代なんで。

で、年度末には賞与を出していたんだけれども、やっぱり震災以降厳しくなり…あと今のスタッフっていうのがバンドやってる子がほぼほぼ全員になっちゃって、増えてしまったというよりも、やっぱりバンドの子たちが本当に音楽好きだから、そういう子たちが入ってくるようになって、自分もそれを望むようになって。で、そういう子たちに「社員どう?」って言っても、やっぱりさ、バンドもやりたいから自由に休みを取りたいだろうし、まあツアーも出るだろうし、みんな「いや社員は…」って感じなのよ。

だけれども、ある程度の日数を出勤したアルバイトに関して、うちは全ての人間に社保厚生年金をつけているんで。多分大きな会社がやってるライブハウスはそうだと思うんだけど、割と小さなハコではなかなかそこまではいってないと思うのね。

で、社保厚生年金をつけて働いてもらってるなかで、今回こういうことになってしまって、やっぱり自分の立場で一番考えなきゃいけないのは、その社員の休業補償をどうしようかっていう、まずそこなんだよね。それを今、社長の鈴木がすごく奔走していて、まあ行政のとこ行くんだけどさ、窓口混んでるとか、銀行回りしてるっていう状況なんだよね。

それと同時に、うちはそのスプートニクラボという会社にドレスコーズがいて、事務所と、あとredrec(レッドレック)っていうレーベルをやっていて。例えばその事務所だったりすると、ドレスコーズが4月15日に中野サンプラザを押さえてた。でもそれも当然延期になる、で、名阪ツアーも10周年ってことで結構大々的にやろうと思ってたんだけど、それも全部延期になって。

やっぱりハコに対するキャンセル料っていうのも、払わなきゃいけないところもあるので、そういうことを合算するともう正直、潰れる潰れないの前に、お金を借りないと、平たく言うともう借金しないと、本当に、絶対に回らないっていう。

この間社長の鈴木と二人で話をして、「持ち出しで、借入をしないんだとしたらどのくらい(持ち堪えられそうか)?」って聞いたら、「うーん…やっぱり2、3ヶ月」っていう。ざっくりした返答で2、3ヶ月と。だからちゃんと借り入れないと、もうしょうがないんで。潰す気はないんだけれども、ざっくり今自分たちのものを出したとして、3ヶ月かなあ。

ハコの家賃だけを払うんだったら、何とかなるかも知れないけれども、従業員のことを考えると、ちょっと厳しいよね。従業員のことを考えるから絶対に潰したくないんだけど。

俺が潰れることを想定してないのは、従業員がいるからだよね。これ個人商店だったら「別に」って思えるけどさ、やっぱり従業員がいるからさ。で、その従業員の一人一人だって、まあ俺は高校中退だけど、大学出た人もいるしさ、でもこうやって、俺たちは音楽の世界に入ってきちゃった。もう好きで来たんだからさ、一蓮托生の部分はあるけどもさ、そんななかでも夢持ってやってる子たちがいるってことで。

補償の他に、無利子融資額の引き上げや減税など、求めている政策や支援策があるかを尋ねると、猪狩は次のように答えた。

猪狩:無利子の融資に関してはさ、もう無利子でもなんでも、これ借金なんで。だから無利子だったら良いっていうものではないと思う。あとやっぱり消費税は即刻無しにしていただきたいって言うのは当然あるよね。仕入れでもなんでも全て税はかかるし、この店の売り上げでも税はかかっているんで。

だからそういうのはもう本当にやめていただきたいんだけどさ、で、それに付随してさ、これ滅茶苦茶なこと言い出すかも知れないけど、例えば他店でやってるようなドリンクチケット(事前購入)とか、あるじゃない?そういうのってさ、すごくアイデアは素晴らしいと思うんだけど、やっぱりちょっと桁がさ…ちょっと違うと思うんだよね。今回お店を閉めちゃうことに関しての(補える額として)、まあ最低でもゼロ一個違うと思うんで。

だけど、やらないより、絶対やった方が良いとは思うんだけれども、桁が違う話になっちゃっているから、もうこっちも腹決めて、国から借金してでも、何とかやるっていう風にうちの店は完全にシフトしちゃってるっていうか。

 

猪狩店長のバックグラウンド

これまで、主に新型コロナウイルスの感染拡大によるレッドクロスへの経営面の影響について話を聞いてきた。しかし猪狩のなかには、そういった店の経営状況とは別に、ある思いが宿っていた。そしてその思いには、猪狩自身のバックグラウンドとも関わってくる部分があった。

猪狩:なんて言うんだろう、ちょっと変な、曖昧な答えになっちゃうかも知れないけど…この状況がどうなるか分からないのは分からないけれども、潰れるとか、そういう悲愴感というか切迫感というのは正直言って、ないよ。うん、自分はない。

それはどっからその自信がくるのか分からないけど、全くない、なんか。良いんだか悪いんだか分かんないけど。あんまり悲愴感出したくないってのもあるよね。だから、なんか今「助けて助けて」的なのはないよね。これ1ヶ月前だったら言ってても良いんだけど、今もうライブハウスだけの問題じゃないから、世の中みんな大変だから…。

やっぱ助成金というかさ、補償金が出れば、本当に良いとは思うんだけど、でも(困っている)業種がライブハウスだけだったらそれを強く求めたいとは思うけれども、ここまでになっちゃうとさ、なんかそういうライブハウスだけに対する補償だけを強く求めるっていうような気持ちは自分にはないね。正直言って。やっぱり世の中全体こうなっちゃってるんで。

で、またこれが、自分が実は日本共産党の党員なのよ。なので、こういう問題が起きる前から、自分が住んでるところで月一の地区委員会みたいなのに出てるのよ。だから、日本共産党が良いとか悪いとかの話じゃなくてさ、自分的には、結局こういうことになっちゃったら、世の中全体のほうにやっぱ目が向いちゃう。

最終的に、やっぱアフリカでもなんでもさ、貧困や飢餓に喘いでるような、もう水も飲めないようなとこの人たちに、全部の皺寄せがいっちゃうんじゃないかなっていう世の中だから。日本だけじゃなくてG7でもG20でも良いけど、大国の経済がメチャクチャになったら、結局そこに皺寄せがいっちゃうのがいつも悲しいし、何ともできないっていう思いがあるから。

例えば、共産党の吉良よし子さんがさ、うちの店来たんだけどさ(筆者注:3月12日、ライブハウスやミュージシャンの現状について話を聞くためにレッドクロスを視察)。もちろん国会の会期中に来て、秘書の方から20分って言われてたんだけど、彼女1時間半話をして。

だけど、吉良さんと話した時も俺言ったんだけど、前提として、「聞きに来る店がもしかしたら違うかも知れませんね」っていう。なんかやっぱり「強い」んだよね、この店は。スタッフも皆さん強いから。強い、っていうのは経営状態とかブッキングが強いという意味ではなくて。

やっぱり他のライブハウスみたいに、ただの雇われの店長だったり、バイトの人だったり、経営陣がライブハウスに常駐して指揮をとってるわけではないお店の人に聞きに行くべきではないかなっていう。そういうアルバイトの子たちで回してる店がほぼだと思うし、そういうお店って本当に不安だと思うんで。だけど、そういう人たちを代弁する発言はできるけれども、ライブハウスがこんなに困窮してるから何とか補償しろみたいな気持ちには、申し訳ないけど俺はなれないね。うん、本当にごめんなさいって感じ。それは。

猪狩がここでいう店の「強さ」とは、確固たる信念や方針を持って店を営業しているという意味での「強さ」や、盤石な信頼関係のもとに運営を行えているかという面での「基礎体力」のようなものを指していると思われる。 

猪狩はライブハウスを運営しながらも、常に社会全体を見渡して考えることを忘れない。また、自らの生き方に大きな影響を与えているルーツの一つとして、自身の信仰についても触れた。

猪狩:俺はさ、母親の家系がプロテスタントだったのよ。それで、俺も小さい頃からプロテスタントで。親父は全然違って、日蓮宗なんだけどさ。

俺、お母さんにちっちゃい頃から、大事なことはね、三つあるって言われてたのよ。で、一つはね、「ボタンは下からかけろ」って言われてたの。上からかけると見えないからさ、見えるところからかけなさいっていう、これはギャグ半分なんだけど。

あとの二つっていうのが重要でね。「あなたは常に、誰とでも同じ目の高さでものを考え、行動できる人間になりなさい」って言われたのね。上から下を見下すなって。で、下から上を羨むなっていう。

もう一個大事なのが、いっつもお母さん言ってたんだけど、「人はしちゃいけないことが二つある」と。「人種の差別と、病気の差別だけは、人として絶対にしてはいけない」と。人種の差別ってのは最も愚かなことで、これは、何万年かかる分かんないけれども、絶対に混血化が進んで地球人になるよって。だって地球人なんだから、差別はないでしょってずっと言ってたお母さんなのよ。

で、うちの母親は別に共産党員ではないけれども、その後にやっぱりキリスト教的な共産主義って、まあもちろんパンがあってさ、誰かがいたらこう分け与えるじゃん。当たり前のことでさ。やっぱ小さい時からどうしてもそういう風に自分育っちゃったんで。そこが根底にあるよね。

このようなルーツを持つ猪狩の強い信念は、平常時からもレッドクロスの運営のあり方に少なからずフィードバックされてきた。

猪狩:うちの従業員に、アルバイトの子とかが入ってきて、必ず自分が言うことっていうのがあって。日本人に生まれたからには、別に社のトップでなかろうが、政治家でなかろうが、アルバイトだろうが、ホームレスの人だろうが、全員「支配階級」にいるってことを忘れないでくれってことを俺は言ってるのね。

それはどういうことかと言えば、仮にホームレスだとしたって、日本の社会の中では弱者かも知れないけれども、日本は本当にインフラが整備されてるから、結局例えば俺がホームレスになったって、公園に寝泊りして、水飲もうと思えば、水道水出てくるし、頭も洗えるし、人目を気にしないんだったら体を洗うことだって、真冬はできないかも知れないけどできるでしょ。

でもやっぱりアフリカとかにちょっと目を向けてみるとさ、泥水しか飲めない子たちがいるわけじゃん。そういう子たちが通ってる学校だって、7割か8割、手を洗うスペースがないっていう実態でさ。そういうところに、もしコロナウイルスが蔓延したら大変なことになるし。

俺たちはさ、ユニクロとかでさ、安価に質のいいものを、まあユニクロの好き嫌いは置いといて、普通に買えるじゃない。だけれども、そういうところって労働力をアジアとかの安いところに求めて、そういうところを叩いてさ、作らせて、俺たちがいい暮らしができてる。

俺たちは普通に教育だって受けられる。だけど国が違えば、もう教育も受けられないし、女性に生まれたら、もう教育も受けられないとか、数年前のノーベル平和賞とった女の子だってそういうのを訴えたら銃で撃たれるとか。で、そういう貧困層の人たち、3年くらいだか2年くらいだか前のデータで、世界の人口の半分ですと。35億だなんだといますと。そういう人たちの総資産が世界のトップ7の大富豪たちの総資産とイコールだって聞いた時に、もう悲しすぎるじゃない、やっぱり。

だから、日本人に生まれたってことは、やっぱり支配階級にあるってことは忘れちゃいけない。支配階級だからって威張るってことじゃなくてね。やっぱりそれはすごく大事っていうか。

また、前述した通り、猪狩はレッドクロスのオープン当初から、スタッフの待遇を常に重視してきた。その点も、店の運営方針の重要な一部分を担っている。

猪狩:自分は共産党員ってのもあるかも知れないけど、スタッフは店の上に立っていると思っているんで。店が一番トップに立っているんではなくて、やっぱりスタッフが店の上に、ここはバンドとかお客さんとか関係なくね、店のあり方としてスタッフファーストっていうか。それを考えなければやっぱり自分は店はできないから。

店を立ち上げた時に、経理の先生とも話したんだけど、自分の理想を伝えて、昇給のシステムとかを話し合った時に、「それは言ってることは素晴らしいけど、これ3年で潰れますよ」っていう風に先生に言われたの、俺、はっきりね。で、もたないんだったら、自分は店はもうやらないっていう風に、やっぱり店の下にスタッフがいるんじゃなくて、店の上にスタッフがいるんですよっていう話をして。先生が「だったらもう分かった」と。「脱税は許さないけれど、徹底的な節税をしましょう」ということは言ってもらえて。

でもその結果何があるのかって言ったら、もうここはブラックになっちゃうけれども、自分が望んでやってるからいいんだけど、自分は年間、三百六十何日この店に張り付いて、休みなくこの店にいてカウンターに立ってるんで。で、お客さんやバンドマンが帰るまで最後まで自分はこの店にいて、常にカウンターの中入ってコップ洗ったりなんだりしてるんで。徹底的にスタッフファーストでやるってことは、やっぱりトップ張る人間が本当に現場で働かないとやってられないんで。

でもそんな俺のわがままを黙って許してくれる、社長には感謝しかないね。彼の下じゃなかったら無理だね。

 

「#LiveArchiveLive」の立ち上げにあたって

スタッフを第一に考える姿勢で店を運営してきたレッドクロスだが、歴代のスタッフのなかには、OKAMOTO’Sやズットズレテルズのドラムスとして知られるオカモトレイジも含まれている。そして、今回の臨時休業が始まったのち、レッドクロスのYouTubeチャンネル開設とともに立ち上がった新たなプロジェクト「#LiveArchiveLive」の発案者こそが、このオカモトレイジであった。

各々のバンドが世に出さずに持っている映像データを、お世話になったライブハウスもしくは、その映像の中で出演しているライブハウスに納品して、マネタイズする”というオカモトレイジのアイデアをもとに、「世に出ていないレッドクロスで撮影した過去のライブ映像」を発信していく本企画がスタートしたのである。

猪狩:今回だけじゃないんだけど、実は自分はオカモトレイジに意見を聞くことが結構多くて。歳はもう25、6離れてるんだけど、彼の視点っていうのは俺すごい認めてる部分あって。

レイジは結婚してて子供もいて、俺は店を閉める直前に、今、子供持ってる子がどういうこと考えてるんだろうっていうの知りたくて。そしたら、やっぱりレイジはコロナウイルスに対する危機感をすごく持ってたのね。

で、店閉めることに決めたって言ったら、「じゃあ猪狩さん、自分やりたいことあるよ」って言われて。とにかく、「何とか自分もこんな時に協力したい」ってことで。

それで、彼はその時すでに言ってたけれど、「配信ライブは多分すぐ無理になりますよ」っていう。「結局、配信ライブっていうのはやっぱりそこにバンドと、スタッフが動くじゃないですか」って言って。それは多分厳しくなるんじゃないかなっていう。「もうデータだけで全てやりとりしたほうがいいんで、それをやりたいです」と。「レッドクロスだったら過去映像とかあるだろうから、それでやりましょうよ」って言って。「それで、スーパーチャットまで持っていきましょうよ」っていうのがレイジの発案で。

で、「それに対してズットズレテルズはいい素材になると思うんで、そのズレテルズをまず一曲何か抜いて、1カメのやつを出して、後にスーパーチャットで4カメで撮った解散ライブを出して、お金を落としたいです」ってレイジが言ってくれたのね。

俺それすごい嬉しくて。たださっきも言ったように、やっぱ俺、温度差があって。それで落ちるお金と、自分たちが用意しなきゃいけないお金が桁が違うので。でもやっぱりミュージシャンのそういう気持ちは嬉しいし、そういうことの積み重ねが大事なのかも知れないけれども、まあレイジには「正直、マネタイズなんてまあどうでもいいよ」っていう(風に言った)。なればなったで、いいんだけれども。

収益化が問題なんじゃなくて、もうライブハウスって水面下に潜っちゃうから、そんなライブハウスから何か発信できるってことが、やっぱ嬉しいっていうか。ライブハウス、全然やってるぜっていうか。過去映像になってしまうけれど、やっぱり過去映像って面白いし。

レイジが言ってたのが、別にこれレッドクロスだけじゃなくて、「いろんなライブハウスが過去の映像募ってやっていけば、観たい人いるだろうし面白いですよね」っていう話をしていて。「そうだね」って言って。「今ファンの子がみんな家にいなきゃいけない状況だから、そんななかでみんな楽しめたらいいじゃないですか」って言って。

レイジ、昨日(4月10日)、インスタライブを自宅で4時間DJやってたからね、パジャマ着て、夜に。レイジは本当にそういうことを考えていて、やっぱコロナの危険性っていうのをすごく考えて、ずいぶん早い段階からデータの取引以外はもうないですっていう風に言ってたんだよね。

以前レッドクロスのスタッフとしても働いていたオカモトレイジだが、もちろんOKAMOTO’Sのメンバーとしてもレッドクロスのステージに立っていた。そしてその時の出会いは、17年間の店の歴史のなかでも、大きな転換点の一つだったという。

猪狩:OKAMOTO’Sってあの時高校生だったんだけど、レイジは中学の時からこの店に出入りしてたのよ。お父さんがTHE PRIVATESっていうバンドのボーカルの延原達治さんなんだけど、お父さん出てたから、よくOKAMOTO’Sの連中がさ、まだハマくん(Ba.)いなかったんだけど、中学の時から遊びに来てはいたのね。

で、まあ中学の時からバンドやってたんだけど、高校生の時にOKAMOTO’Sを始めて。そのTHE PRIVATESの延原さんが「うちの息子はバンドやってるから、一回観て何か言ってやってよ」って。で、俺正直、嫌だなあって思って。あんまり俺、嘘つかないタイプなんで。どうせ高校生でしょぼいだろうからって、高を括ってたのよ。

で、観に行ったらもう、「こんな奴らいるの!?」っていうさ。俺、ビックリしちゃったのよ。本当にビックリしちゃって、それで、「何だよお前ら、うちの店でやれよ!」みたいな感じで。

その時に、高校生に対する見方が変わった。OKAMOTO’Sと出会って、「うわあ、こんな子たちいたんだ」っていう。その後に出会ったのが、チャラン・ポ・ランタンの前身であるMINORITY ORCHESTRAっていうバンドだったり、赤い公園っていうバンドだったり。

それまではやっぱり自分が高校生の時の感覚でしか考えてなかったっていうか、高校生は相手にしてなかったんで、うちの店は。だけどそっから一気にそういうところに目を向けたよね。だからそれはとても大きな、店としての転換期っていうか。すごく印象に残ってる。

 

ライブハウスのプライド

上述の「#LiveArchiveLive」では現在、スーパーチャットが可能になる総再生時間4000時間のクリアを目指して、これまでのレッドクロスの歴史を彩ってきた様々なロックバンドのライブ映像が日々アップされている。17年に及ぶ店の歴史を振り返って、印象に残っている出来事などを尋ねてみた。

猪狩:社長の鈴木と二人で店を立ち上げてやり始めたときは、新参者のライブハウスとしてどうやっていこうかと。でもたまたま本当にいいミュージシャンが応援してくれて、初っ端から結構いいブッキングで、よく転んで行ったのは確かなんだけれども。

やっぱりスタートはTheピーズかな。ピーズがオープンの時から出てくれて。本当に友達なんで。オープンの3日目だったんだけど、ピーズがその日ソールドアウトしてね、まあ最後精算っていう形になるじゃない。

それで封筒をさ、口を閉じずに、開いたままお金入れてピーズに渡したらさ、ピーズのアビさん(Gt.)が綺麗に(封筒の)口を閉じてさ、「じゃあこれ、俺たちからお祝い」って言ってさ、ポンって渡されちゃったのよ。で、「何言ってんだよ!」っつって。「ふざけんなよ!」っつって。「出てくれただけでも有り難いのに、これはない」って言ったら、「俺たち3人、はる(Vo. Ba.)もシンちゃん(Dr.)もみんな喜んでるんだよ」って。「これはお祝いだからよ」っつって、バンって渡されちゃったわけよ。

だから、その時から、この店の方針は決まったっていうかさ。やっぱり真摯にやらないともう顔向けできないからさ。うん。それで、ほどなくしてピーズが毎月出てくれるようになって。ピーズってのは後に武道館までやるバンドでさ、ライブハウスのなかでは神のような扱いのバンドが、PVとかでも使ってくれたり。やっぱりあの人たちがこの店に落としてくれたものは大きいし、本当にピーズ無くしてはこの店は語れないっていうか。

3年目くらいだったかな、北海道から出てきたバンドマンがステージ上でね、こう言ったんだよね。「とにかくレッドクロスは憧れてた」って。「もう、憧れのライブハウスで」っていう風に、ポーンって言われたの。その時に「えっ」って俺思って。「ああ、この店って一人歩きし出したんだな」って気がついたね。その子たちにとってみれば、自分が大好きなアーティストが出てたんだろうね。

もう最初は、自分とその社長の鈴木の関連の人たちから始まって、自分たちで一生懸命やってっていう思いがあったけれども、全然知らない北海道のこの子たちから、憧れのライブハウスって言われた時に、まあ本当にね…当たり前の言葉かも知れないけれど、身が引き締まる思いっていうか。俺が電話できて「お前さあ」なんて言える間柄じゃない人が、この店をリスペクトしてくれたっていうのが、やっぱり大きかったね。

ただね、自分がよく振り返るレッドクロスの黄金時代って、オープンして4、5年目くらいの時でね。一人もメジャーに行って世に出たりはしていないけど、例えば太陽民芸っていうバンドだったり、モノノフルーツっていうバンドだったり、傘ぶらんくわっていうバンドだったり、チャーリーバイセコーってバンドだったり、ザ・ワイワイズっていうバンドだったり、そういうバンドの子たちがね、月曜日だろうが水曜日だろうが、もうライブ出たら朝まで飲んでくぜみたいな感じで。

傘ぶらんくわっていうバンドの柏崎なんてやつは、ここに2泊3日したことあんのよ。ライブ出て酔い潰れちゃって、俺最後までいて「柏崎、俺もう帰りたいよ」って。で、「お前もうここ泊まっていいから、とにかく店のもん勝手に飲んでいいけど、金もあるから、お前絶対開けっ放しで勝手に帰るんじゃねえぞ、次の日に俺が来るまで寝てろ」っつって、俺家帰って、次の日来ると寝てるわけよ。

で、起こしてさ、飯食いに行って「じゃあお前さあ、今日も飲んでけ」と。「その代わり、オープニングアクトでお前弾き語りで30分歌え」っつって、歌わして、その日も朝まで飲んじゃって、泊まってって、次の日も同じように俺が起こしに来たみたいな。

もう今時代が違っちゃってるから、みんな良くても終電で帰るんだけど、そういう無名だったかも知れないけどバンドの子やお客さんがいつでも、ライブ終わると平日でも少なくとも10人くらい、多い時は20人くらい残って、朝までワイワイやってた時。

そういう時って最後はバンドもさ、過熱しちゃうからさ。そうすると俺とかがさ、金払って、「もういいよ、おまえら、奢りだから飲め」みたいな感じでやってるから、俺も17年と休みなくやって、通帳にね、残高はあるけど貯金がゼロなのよ。だからまあ、これが共産主義者のやることかも知れないけど、正直貯金ゼロなのよ(笑)。残高あるよ?(笑)だから本当に、ライブハウスよりも、俺がどうしようって話なんだけど本当は。ぶっちゃけ言っちゃうと。

だけども、そうやってずっとやってきたから、それを考えると、なんかあの時が店の黄金期だよなあって。楽しかったし。その子たちはメジャーという形で世には出てないけど、全く無名だったかも知れないけど、やっぱり自分の心には、そういう楽しかった日々っていうのが刻まれてるからさ。

本当に店として一本立ちさせてくれたバンドたちもいるし、そうじゃない日々…お金とか、発信ということではなかなか難しかったかも知れないけれども、やっぱり自分のモチベーションというかさ。そうやって、今は無名かも知れないけども、その子たちと切磋琢磨して、その子たちが成長していく様を見るっていうか、作り出すのも、すごく重要な感じかなあっていう風に(思う)。

やっぱそれがないんだったら、毎日毎日有名な人が出るだけだったら、俺はライブハウスはやんないね。うん。毛皮のマリーズであっても、THE BAWDIESであっても、OKAMOTO’Sであっても、go!go!vanillasであっても、もう本当に皆さん全然客いなかったからね。で、それが送り出せた、で、仮に送り出せなくても、やっぱりさ、カウンターの中から毎日ライブとか観ててすごい楽しかった。

ライブを観ることがさ、もう本当に楽しいよねって、待ち望んでる日もあればさ、例えばさ、その子たちのやってる音楽性が自分はそんなに好きじゃないバンドだって、もちろんあるわけじゃない。でも、好きじゃないかどうかっていうのは自分にとってはあんまり、実は問題じゃなくて。一生懸命かどうかっていうことだけがやっぱ、問題だよね。だから、そういう子たちと、終わってああだこうだ、アドバイス求められればもちろんするし、なんか馬鹿な話もするし、そういうのってやっぱすごく素敵な時間っていうか。

猪狩は著名なバンドが出演するときも無名なバンドが出演するときも、毎晩変わらず店内のカウンターからライブを見守ってきた。「#LiveArchiveLive」では著名なバンドのライブ映像公開によるマネタイズだけにはこだわらずに、近年出会ったバンドも積極的に発信していきたいという。自身の考えているライブハウス像について尋ねると、次のような返答が返ってきた。

猪狩:やっぱりさ、ライブハウスが、まあそれはクラブでもいいんだけど、そういう小箱で、少ない人数が常に一番最先端だと思うのよ。だから、それを担ってるっていう強いプライドみたいなものはあるよね。俺たちが一番カッコいいことやってんだっていうのは常にあるよね。

始まりは20人でいいと思うんだよね。別に10人でもいいし。やっぱそこからしかカッコいいものって、生まれないよ。うん。最先端なものはそっからしか生まれないんじゃないかな。で、逆に、最後まで10人20人しか集めらんなかったとしても、本物のアーティストはいるってことを俺は知ってるからね。

例えば、中ムラサトコさんっていう、色んな形態でやるんだけど、よくうちに幼稚園にあるような足踏みオルガン持ってきてさ、素晴らしい歌とすっごい幻想的な世界観で。お客さんなんか集められないけど、その人のステージ生で見たら、もう本物だよ。本物のアーティストはここにいるよっていう。じゃあなんか千人一万人集めてるやつでこの人に敵う人は一体いるの?っていう。

やっぱこれがライブハウスのプライドだよねっていう。うん。メジャーは全然足運んで来ないけれども、やっぱりそういう店だよね、ライブハウスって。ただ、そればっかやってると、店が運営できないからさ(笑)。

 

新宿にある「田舎のライブハウス」として

ここまで、猪狩自身のバックグラウンドも含めて、現在に至るまでのレッドクロスの運営のあり方について掘り下げてきたが、最後にもう一つ、この店を語る上で欠かせないのは、やはり店長自身がこの新宿の街で生まれ育ち、土着の人間としての自らのルールを貫いてきたという事実である。

猪狩:レッドクロスって、やっぱ自分で言うのは申し訳ないけど、他のお店とはちょっと違うと思うんだよね。っていうのは、簡単に言っちゃうとさ、「田舎のライブハウス」なんだよね、レッドクロスって。

っていうのはどういうことかと言うと、自分がさ、この店をオープンする時に、すごくモデルにしたライブハウスがあるのよ。それがさ、有名ではないけど、静岡の浜松にあった「ポルカドットスリム」っていうお店を真似させていただいたっていうか。経営方針とか別にそういうことじゃなくて、そこのお店っていうのはさ、すっごい長いカウンターがあって、お酒美味しくて料理もちゃんとしててみたいなお店で。ドラムセットとかギターアンプとか、ヴィンテージの機材も扱ってて、みたいな。

何よりも、そこに後藤さんっていうオーナーがいるんだけど、その人が地元で生まれ育った音楽好きのちょっと頭おかしいオヤジみたいな感じなのよ。まあかつて俺がやってたバンドで、こっちからツアーで行くとさ、やっぱり週末になるとすごくお客さんも集まって。本当は浜松の平日の現状なんて分かんないけど、行くとさ、いっぱいお客さん集まってくれていい景色が見れて。すごく音楽が好きで、地元を愛してるオーナーがやってる店って気持ち良くて、地方のそういう、あまり有名でない小箱と言われるようなお店ってすごく色があってカッコいいなっていう風に思ってたわけよ。

(写真:「ポルカドットスリム」閉店時に後藤氏から譲り受けた店の看板は、今でもレッドクロスのカウンターの奥に保管されている)

 

それで、自分がいろんな流れで店をやることになった時に、どういう店がやりたいかって言ったら…俺、この新宿で生まれ育ってて、歌舞伎町で生まれてるんで。赤十字病院(筆者注:レッドクロスの斜向かい。1996年に閉院)があってね。で、新宿で生まれ育って、江戸っ子教育みたいなのを受けてきて、ずううっと土着で新宿から出てないんで、その人間がやる店。

だからさ、新宿って言ったらさ、やっぱり東京都で一番の繁華街である、っていうことは日本一の繁華街ではあるけどもさ、たまたま大都会だっただけで。ここで生まれ育った人間がやってるんだからさ、地方のライブハウスとやっぱり何ら変わらないと思うんだよね。だからある種、新宿の土着の人間のルールっていうのをよく知ってる人間が、ここで店をやるってことで、田舎のライブハウスと全く同じ感覚でやってんだよね。

この街に対する責任感は、やっぱ自分はあるからさ。そんななかで営業をしてきたっていうのが、レッドクロスだと思うんだよね。新宿のロフトっていうのはすごく歴史のある店で、俺は常にリスペクトしているんだけども、ロフトの歴代の店長さんとかが別に新宿の土着の人間であるわけではないし、だからその街に対する責任感っていうのはやっぱり、俺とは違うと思うんだよね。

新宿が空気みたいなもんだからさ。常日頃毎日吸ってるからさ、「新宿ってこういう街だな」っていうのは、実は見えてこないんだけどね。当たり前にあるものだからさ。例えば俺、写真家のアラーキーさん(筆者注:荒木経惟氏)が、もう十何年も前だけど、ゴールデン街かなんかでインタビューに答えててね。「新宿は写真を撮る街じゃないんだ」って、「カメラを構えてシャッターを切れば、それが写真になる街が新宿だ」って言ってたのよ。

それ聞いた時に、「この人何言ってんだ」って思って。俺たち子供の頃、カメラ向けられたら一生懸命仮面ライダーのポーズとかしてたし、「何言ってんだよこの人」っていうか(笑)。やっぱり、それは池袋も新宿もそうだけど、外部の人がさ、新宿ってこういう街だよなっていう風に決めるものであって、俺にとっては空気だから。

新宿で生まれ育った俺にとって、新宿のランドマークって言ったらやっぱり伊勢丹なんだよね。伊勢丹が、この情勢で、全部閉めちゃったってことがやっぱり自分はショックで。コロナだからしょうがないんだけれど、あのランドマークが店閉めたんだっていう。もう規模感が違うじゃない。まあ会社もデカいとはいえね。だから、(自分が求める)補償っていうのはライブハウス個別の補償っていうのではなくて、もうとにかく、世の中全てに対することだよね。だからそれがマスク2枚では済まされないってことだよね。

インタビューの締めくくりに、この記事を読んでいる読者に向けて伝えたいこと、呼びかけたいことが何かあるかと尋ねると、猪狩は「あるよ」と答え、次のように話した。

猪狩:3.11.のときは、自分は被災したわけではないけれども、本当にきつかったじゃない、日本。もう、もちろん東北のほうの人たちのことは、本当に、同じような気持ちにはなれなくても、本当にさ。だけれども、あの時は日本、「頑張んなきゃいけねえ」「俺たちが支えなくちゃいけない」みたいな、数週間でさ、「やるぜ!」みたいなのになれたけど、今はもう出口が見えないから、あの時と全く違うのよ。

うん、出口がいつになるのか分かんない。で、本当に、この日を境に「解禁!」とか「もう大丈夫だからやっちゃおうぜ!」みたいな風に、なれればいいんだけど、多分見通し的にはそうもならない。ならないで、何となく、おっかなびっくりになるのかも知んないけど。

俺、そんななかでも、望みとしては、もしライブハウスが、うちだけじゃなくていいんだよ、全てのライブハウスが、無理なくね、本当に無理なくだよ、再開できそうなときが来たら、それが月曜日だろうが日曜日だろうが、本当に、音楽好きな、これ読んでる人たちとかが、お目当てのバンドとか関係なく、一回、ライブハウスに足を運んでもらいたい。

でもそういう人たちも各々、もうお休みしちゃって、収入とかすごい大変になっちゃってるから、変なお願いではなくて、もうそこの日に、どんなバンドが出てようが、ライブハウスが再開した時に、近所のライブハウスに行って欲しいっていうか。バンド関係なく、集まってよみたいな思いは、すっごいあるね。

なんかもうそれがさ、再開する日が仮に月曜だとしてさ、無名なアーティストが4バンドの日かも知れない。でも関係なく、今まで来てくれた常連さんが「来たよ~!」っつって、「飲みに来たよ!」って言ってくれたら、泣いちゃうかも。本当に。

だから俺、よくうちのブッキングと言ってんだけど、あのドリンクチケットとかでサポートしてくださいっていう、そういうライブハウスはもうアイデアすごいし、素晴らしいと思うけど、レッドクロスは何やろうかなって時に、まあうちも厳しいからできないかも知んないけど、そういう日は入場時ドリンクとかはうちがサービスで、一杯は出しますよみたいな、だから来てよみたいな、チケ代なんか半額でいいからさみたいな、分かんないけど、何かそういうのちょっとやりたいかなあっていうか。もう一回帰ってきてもらいたい。もうお目当てのバンドじゃなくていいから、で、レッドクロスじゃなくていいから、近所のライブハウスに一回行ってあげて欲しいっていうか。

やっぱりね、バンドのお客さんの中でもさ、本当にずっと常連さんとかいるわけじゃない。このバンドには、この人で、よく飲んでくれる、とか。まあ飲みはしないけど、本当にお酒ダメっぽいからコーラとかジンジャーエールとか、ソフトドリンクで一杯かも知れないけど、いつも来てくれるお客さんの顔って、すっごい俺も気にしてるから。もう、会いたいもんね、本当に。会いたい。うん、だから、その目当てのバンドの日じゃなくていいから、再開したら遊びに来てほしい。それは本当に思う。強く思う。だからそれは中野君もそうだよ、同じ。

おこがましくも筆者の私的な感想を述べさせていただくと、猪狩がインタビューの最後に強い気持ちを込めて語ったこれらの言葉は、痛切に胸に迫ってくるものがあった。

筆者もバンドマンとして以前レッドクロスで何度もライブをしたことがあるのだが、その時の情景が次々と蘇ってきた。お客さんが集まってくれた夜、ほとんど集客できなかった夜。盛り上がった夜、スベり気味だった夜。色んな夜があり、色んな面白い人がいて、色んなドラマがあった。

演奏中にカウンターに目を向けると、よく猪狩さんがノッてくれていた(ありがとうございます)。もう一度、あのカウンターに寄りかかってビールを頼んでみたい。あの美味しいカレーうどんを食べてみたい。深夜にとんでもないエピソードを聞いてゲラゲラ笑いたい。

いつだったか、一時期日課として縄跳びで運動していた頃、ステージ上で演奏中に縄跳びするという謎のパフォーマンスをしたら、猪狩さんが「これ使ってないから、欲しかったらあげるよ」と新品同様の縄跳びをくれたこともあった。僕はそれがとても嬉しかった。使うのが勿体なくて、今でも大事に保管してある。またレッドクロスのステージに立つ時には、使ってみようと思う。いや、やっぱり保管しておこう。

音が鳴らなくなり、がらんとしてしまったレッドクロスに、早くふたたび胸を熱くするような音楽が鳴り響き、活気が戻ることを願ってやまない。

 

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