「補償なき自粛」の果てに〜ライブハウスの惨状

宮入恭平

ディストピア小説に紛れ込んでしまったかのような、非日常が日常化してしまった現実を目の当たりにしている。かつて存在したはずの日常を一変させてしまったウイルス禍のなかで、思いも寄らず注目を浴びることになったのがライブハウスだ。その発端となった出来事が起こったのは、ウイルス禍が現在(4月20日)ほど深刻化する以前の2月までさかのぼる。ちょうど、クルーズ船やチャーター機帰国者の余波を引きずりながらも、今後の国内での感染拡大を阻止するために、緩慢な対策がとられていた時期だ。実際のところ、国外と比較して、国内の感染者数はようやく2桁に届いた程度だった。もっとも、その数字が現実を反映したものだったのかどうかについては、議論の余地があるのも事実だ。そのような状況下で、耳慣れない言葉を聞くようになった。屋形船やスポーツジムからの感染拡大が注目されるようになると、厚生労働省はクラスター(小規模な感染者の集団)という言葉を用いて注意喚起をうながすようになった。そして、不幸なことに、大阪のライブハウスでクラスターが発生してしまったのだ。当該ライブハウスは実名を公表したうえで、当日のライブに参加していた人たちへの注意喚起をうながした。もちろん、それはメディアでも報道されることになった。そして、「身動きがとれないほどの人だかり」や「密閉空間」といったライブハウスの環境が否定的に強調されたのだ。確かに、多くのライブハウスは防音などの観点から、のちに「3密」と名づけられた「密閉」(=窓がなく換気が悪い)、「密集」(=手の届く距離に多くの人)、「密接」(=近距離での会話や発声)というすべての条件が当てはまってしまう。そして、残念ながら、ライブハウスからクラスターが発生してしまったのは紛れもない事実だ。その後も、クラスターこそ発生しないまでも、「感染者がライブハウスを訪れていた」という報道は少なからず継続することになった。

情報公開という点を鑑みれば、感染場所をライブハウスとする報道は何ら誤りではない。それにもかかわらず、ライブハウスという言葉が一人歩きしてしまった感も否めない。あたかもライブハウスが「諸悪の根源」であるかのような言説は、その後も残存しているのだ。たとえば、3月30日には東京都の小池百合子知事が、ウイルス拡大防止策として求めていた夜間の外出自粛の要請を強化し、業種を特化しての注意をうながした。小池知事は対象になる業種の一例として、「若者はカラオケやライブハウス、中高年はバーやナイトクラブ」をあげ、「密閉空間、密集場所、密接会話といった条件が重なる場所だ」と強調した。もちろん、ライブハウスが感染とまったく無関係というわけではない。しかし、自覚的にせよ無自覚的にせよ、メディアが、そして行政も、ライブハウスを「諸悪の根源」として名指ししたことによって、多くのライブハウス(として括られた存在)が窮地に立たされているのは紛れもない事実だ。もっとも、ライブハウスの窮状は、メディアや行政が名指ししたことではなく、感染拡大を防止するために余儀なくされた営業の自粛によるところが大きい。もちろん、こうした苦境に立たされているのは、ライブハウスに限ったものではない。それにもかかわらず、メディアや行政から名指しされたことによって、ライブハウスに対する社会的評価が失墜したことは確かなことだ。そもそも、ライブハウスなるものの存在が広く社会に認知されるようになって久しいものの、その一方で、ライブハウスそのものの存在が必ずしも社会に認識されているわけではないという事実は特筆すべきだろう。「ライブハウス」はあくまでも総称に過ぎず、規模から運営形態までさまざまだ。それにもかかわらず、「ライブハウス」という一括りにされた言葉でメディアや行政に名指しされたことによって、ライブハウスはすっかりと悪名高き存在になってしまったというわけだ。

東京をはじめとする7都府県へ緊急事態宣言が発令される前夜となった4月6日、筆者は都内のライブハウス(175店)のウェブサイトから運営状況を確認する作業を試みた。その時点では、全体の47%に当たる83店がウイルス感染拡大防止のため、国や行政の方針を参考にしながら、みずから営業を自粛する対応をとっていた。ウイルス禍におけるライブハウスに最初の転機が訪れたのは、厚生労働省から「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」が出された2月25日だった。それにより、ライブハウスでは、ソーシャル・ディスタンシング(対人距離の確保)の選択肢のひとつとして、営業の自粛を意識するようになった。さらに、都内に目を向ければ、3月25日に東京都の小池百合子知事の「ライブハウスなどについても自粛をお願いする要請を、個別に行ってまいりたいと考えております」という会見が開かれると、多くのライブハウスには行政から自粛を要請する文書が届けられた。その結果、都内のライブハウスの半数近くが、みずから営業を自粛することになったのだ。それでも、何らかの形で営業を継続するライブハウスもあったのは事実だ。たとえば、先の調査でも全体の53%に当たる92店は、ライブのキャンセルなどはありながらも、無観客ライブや生配信などによる営業を継続させていた。もちろん、ここで重要なのは、営業の自粛や継続の是非を問うことではなく、「ライブハウスは音楽文化のひとつ。それが消えてしまいかねない」(筆者コメント「東京新聞」3月11日付)という、ライブハウスが存続の危機に陥っているという事実だ。こうしたライブハウスの危機的状況に、助成金の交付を求める署名活動「#SaveOurSpace」がおこなわれ、3月27日から31日のあいだに30万筆以上が集まった。この署名活動に追随した音楽家団体「Save the Little Sounds」のアンケート調査(3月27日〜4月3日)によれば、全国のライブハウス(283店)の95%が減収、66%は貯蓄を切り崩して対処せざるを得ない状況に直面しており、この状況が継続した場合には20%以上が1ヶ月持つかわからないという回答をしている。さらに、このアンケート調査に準じて、筆者自身が数名のライブハウス関係者に聞き取り調査をおこなったところ、「補償なき自粛」に対する困惑と失望の声が大きかったのは、決して偶然ではないだろう。そして、緊急事態宣言が発令された4月7日になると、先の調査で営業を継続していた92店のうちの36店が自粛を決めた。また、すでに営業を自粛していた83店のうち35店は、緊急事態宣言の期間に合わせて自粛を延長する措置をとった。

東京都は4月10日に緊急事態措置として、6業態に対して翌11日からの休業を要請した。4月13日になると具体的な対象施設が公表され、ご多分にもれずライブハウスも遊興施設のひとつとして名指しされることになった。その時点で、都内のライブハウス(175店)の77%に当たる134店が営業を自粛することになった。また、残り23%に当たる41店は休業を公表こそしていないものの、公演を休止しているところがほとんどだ。無観客ライブなどの配信以外で営業しているライブハウスは、実質ゼロに近いのは言うまでもないことだ。ライブハウスは感染拡大を防止するために、営業の自粛は止むを得ないことと承知しているのだ。実際のところ、国や行政からの要請よりも前から、営業の自粛をはじめたライブハウスも少なくないのだ。もっとも、「体力」のないライブハウスにとって、長期にわたる営業の自粛は命取りになりかねない。すでに、5店(都内だけで3店)のライブハウスが廃業に追い込まれているのだ。こうした惨状をもたらしたのは、言うまでもなく「補償なき自粛」のしわ寄せということだ。繰り返して強調しておくが、こうした惨状はライブハウスに限ったものではない。東京都の休業要請に対して、ライブハウスをはじめとする対象になる業態が注目したのは補償の有無だった。4月15日に東京都は、感染拡大の防止に協力した企業や個人事業主を対象に、50万円、または100万円を支給する「感染拡大防止協力金」の概要を公表した。その条件には、4月16日から5月6日まで毎日休業することも含まれていた。ところが4月17日になると、休業期間中に無観客ライブなどの配信をした場合、営業とみなされて感染拡大防止協力金の対象から除外される可能性があるという情報が流れたのだ。これに対して、4月19日には「#SaveOurSpace」が「感染拡大防止のために無観客配信を行う文化施設を、都の感染拡大防止協力金の対象から外さないよう求める署名」をはじめ、翌20日までに3万筆以上の署名を集めることになった。集まった署名は21日に小池百合子都知事へ届けられる予定になっていたが、20日の夕方には東京都産業労働局から「一般向け営業を休止した上で、施設を使ってバンドが無観客演奏し、オンライン配信する場合、『三密の状態』を発生させない使用であれば、協力金の支給対象」になるという見解が示された。

はたして、ポストコロナの時代にライブハウスは生き残ることができるのだろうか。無観客のオンライン配信は、好むと好まざるとにかかわらず、そんな未来のライブハウスのひとつのあり方かもしれない。そして、少なくともいまは、それでも前へ進むためのライブハウスの最後の砦なのだ。