虹の彼方に〜ライブハウスの決断

宮入恭平

東京都が推奨する「虹のステッカー」が話題になっている。小池百合子都知事は7月30日の会見で、「東京都新型コロナウイルス感染症対策条例」の一環として事業者に対して「感染防止徹底宣言ステッカー」の掲示を呼びかけた。小池都知事は「都のホームページで防災のバナーがありますから、そちらから入っていただいて、そしてステッカーというアイコンをクリックしていただく。そうすると、その段取りが出てきます。手続きが出てきますので、ぜひダウンロードしていただいて、お店に掲示していただく、そのことによって、より多くのお客様に安心してご利用いただけるということになります。このステッカーでありますけれども、だいぶ増えてまいりましたが、まだ8万ということでありますが、もうここは、皆様にご協力をいただいて、都内各地といいましょうか、各お店に虹がかかっていると。100万枚を目指していきたいと考えておりますので、お店ごとにそれぞれのところに貼っていただきますように、東京中を、安心の虹のステッカーで埋め尽くすことは、すなわち、感染拡大防止策を事業者もとる、利用者も活用する、両方からこれを進めていく、そのための条例の改正も行ったということであります」と、感染拡大防止として「虹のステッカー」の重要性を強調したのだ(https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/governor/governor/kishakaiken/2020/07/30.html)。そんな「虹のステッカー」を提示していたフィリピンパブから、残念ながらクラスターが発生していたことが発覚した。これに対して小池都知事は、8月13日に「なかには実践もせずに、ただ貼ってつけておけばいいやみたいな事業者がいないとは限らない。そして現実に、今回起こったわけです」という見解を示した。後日、当該フィリピンパブは都の調査によって「十分な感染対策が取られていた」と判断されたものの、はからずも小池都知事の発言は「虹のステッカー」の信頼を損ねるものになってしまった。そもそも、このステッカーの申請は、あくまでも自己申告に過ぎない。都が定めたガイドラインにある感染防止対策をすべて守っている(と主張する)事業者は、誰でもオンラインで簡単に申請することができる。すなわち、性善説にもとづいているというわけだ。ステッカーの実効性が疑問視されるなか、小池都知事は今後も業界団体と連携しながら感染防止対策の確認などを徹底していくと発言している。そして、8月14日の定例記者会見では、新型コロナウイルスの感染防止対策を取っていることを示す都のステッカーのさらなる普及や啓発を促すため、YouTuberでタレントのフワちゃんを起用したことを明らかにした(https://www.youtube.com/watch?v=d8yl-XCxiK8)。さらに、ステッカーの効力をより確かなものにするために、あるいは「免罪符」化を阻止するために、都の職員が抜き打ち的に店舗への「見回り」をおこなうことになった。8月19日からはじまった「見回り」だが、「今さらという感じ」という現場からの声は辛辣だ。

そんな「虹のステッカー」の掲示は、ライブハウスにとっても他人事ではない。その効果はさておき、好むと好まざるとにかかわらず、ステッカーの掲示には「都のお墨付き」(あるいは「免罪符」)という記号が付与されるのだ。すでに2月から営業を自粛しているライブハウスも少なくないことから、ステッカーの掲示はライブハウスにとって死活問題だ。ちなみに、3月30日以降にコロナウイルス禍によって閉店したライブハウスの数は、8月22日の時点で29店に及んでいる(https://www.livebu.com/covid19/close/)。こうなると、経営存続のために是が非でも「虹のステッカー」を掲示しようと思うのは当然の心理だ。そんなステッカーの申請に大きく影響するのは、都や業界団体によって策定されたガイドラインだ。事業者は「虹のステッカー」を申請するために、①「全業種共通編」(https://www.bousai.metro.tokyo.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/008/459/111111.pdf)+「27業種別」(https://www.bousai.metro.tokyo.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/008/459/0625-20.pdf)のガイドラインを確認したうえで、感染防止対策を徹底しなければならない。そのうえで、②ガイドラインと同様の「全業種共通編」(https://www.bousai.metro.tokyo.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/008/429/00.pdf)+「27業種別」(https://www.bousai.metro.tokyo.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/008/429/25-2.pdf)のチェックシートで実施すべき取組みをチェックする。それから、③専用フォームに必要事項を入力し、「感染防止徹底宣言ステッカー」をオンラインで取得する(https://form.kintoneapp.com/public/form/show/312aab75f30cf99972ef4191cb80262aaf1532bf4922809924c4268f8d1b7577)。パソコンやプリンタなどの機器が揃っていない事業者は、郵送で手続きすることも可能。そして、④「虹のステッカー」が掲示できる、という流れになっている(https://www.bousai.metro.tokyo.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/008/420/2020073001.pdf)。ガイドラインに沿った対策を徹底している事業者は、胸を張って「虹のステッカー」を掲示することができるというわけだ。そして、そのガイドラインは、それぞれの事業者が該当する業界団体を中心に策定されている。そのガイドラインにもとづきながら、都はステッカーの申請のためのチェックシートを用意している。多くの事業者と同様に、ライブハウスもガイドラインに準じたチェックシートを踏まえたうえで、「虹のステッカー」を申請することになる。ところが、ライブハウスに関しては少し話が厄介だ。東京都が示したガイドラインは、業界団体と専門家が策定した政府のガイドラインに準じたものになっている。ちなみに、東京都は5月22日に「事業者向け東京都感染拡大防止ガイドライン~『新しい日常』の定着に向けて~」第1版を公開した。その後、6月19日に第3版(https://www.bousai.metro.tokyo.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/007/968/2020061901.pdf)を公開しており、ライブハウスのガイドラインの掲載は6月26日からになっている(https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2020/06/26/24.html)。東京都によるライブハウスのガイドラインの掲載が遅れた理由としては、その基準となる政府による「ライブホール、ライブハウスにおける新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドライン」が6月13日に策定されたことにある(https://d904377f-e859-4d31-b888-0379376c31e4.filesusr.com/ugd/58f3a1_e8c686d463b14b4c9fbb14eb3055a1e7.pdf)。なお、6月29日には改訂版が公開されている(http://j-livehouse.org/wp-content/uploads/2020/06/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%95%E3%82%99%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9-%E6%A5%AD%E7%95%8C%E3%82%AB%E3%82%99%E3%82%A4%E3%83%88%E3%82%99%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3_0629%E6%94%B9%E8%A8%82.pdf)。つまり、東京都によるライブハウスのガイドラインは、政府のガイドラインに準じたものだ。そして、「虹のステッカー」を申請するためには、このガイドラインに沿ったチェックリスト項目を確認する必要がある。ライブハウスが「都のお墨付き」のもとで営業するための、いわば必要最低条件になるというわけだ。そして実際のところ、その作業そのものは大した負担にはならない。ガイドラインを確認して、チェックリストを確認して、「虹のステッカー」を申請して、プリントアウトしたものを掲示するだけだ。問題は、その「虹のステッカー」そのものの意味にあるのだ。

東京都によるライブハウスのガイドラインが発表されたのは6月26日だったが、実際には公表されていない新しいガイドラインも存在している。それは、政府によるガイドラインの策定にも関与した業界団体のひとつでもある日本音楽会場協会によって、ライブハウスなどを対象とする「東京都内の音楽会場における感染予防ガイド」(https://www.japan-mva.com/tokyoguideline)として7月27日に発表されている。同協会によると、この新しいガイドラインは、6月13日に政府が発表したガイドラインに経済活動の実態を上乗せしてつくられたものだという。同協会が新たなガイドラインの策定に踏み切った理由は、政府のガイドラインの非現実性にあった。そもそも、都のガイドラインは政府のガイドラインに準じている。つまり、都のガイドラインは独自に策定されたものではなく、基本的に政府のガイドラインと同じ内容なのだ。そんな政府のガイドラインに準じて感染防止を徹底させた場合には、収益が見込めずに営業が成り立たなくなることが想定される。その大きな要因は、ガイドラインが規定しているソーシャルディスタンスだ。そこに示されている1〜2メートルの対人距離を確保すると、集客が成り立たなくなってしまう。それは、小さなライブハウスは当然のこと、大きなライブハウスにも当てはある。つまり、「虹のステッカー」を掲示することは、ガイドラインに従うことであり、言い換えれば、大幅な集客の減少を容認することを意味するというわけだ。もちろん、政府のガイドラインは、政府と専門家に加えて、業界4団体(ライブハウスコミッション、日本ライブハウス協会、日本ライブレストラン協会、日本音楽会場協会)との協議によって策定されたものだから、ソーシャルディスタンスについては業界団体も事前に把握していたことだ。(そもそも、ライブハウスのガイドライン策定にあたっては、当初から不透明な部分が見受けられたのも事実だ。実際のところ、プレコロナの時代には、ライブハウスを取りまとめる業界団体は名ばかりのものだった。こうしたライブハウスを取り巻く環境が、現状のさまざまな問題と無関係ではないはずだ。もちろん、こうした検証をおこなうことは必要だが、それは別の機会で議論することにする。)しかし、現実問題として、ソーシャルディスタンスの規定を突きつけられたときに、ガイドラインの見直しが求められるのは当然のことだ。そこで、少なくとも政府のガイドラインに準じた東京都のガイドラインだけでも見直すことができないものかと、新しい東京都のガイドラインが策定されることになったのだ。7月27日に発表された都の新ガイドラインでは、それまでのガイドラインにあったソーシャルディスタンスに関する記載が消されることになった。そして、日本音楽会場協会から東京都の新ガイドラインとして発表されることになった(https://www.youtube.com/watch?v=3RcUxFQtRo8)。もっとも、それですべてが解決したわけではない。「虹のステッカー」を申請するうえでのチェックシートには、新ガイドラインでは削除されたはずのソーシャルディスタンスに関する記述がいまもなお残存しているのだ。ライブハウスが「虹のステッカー」を掲示するためには、チェック項目の「ソーシャルディスタンス(できるだけ2mの距離を保つ)」という文言を遵守しなければならない。同協会では都に対して、新ガイドラインに沿った新たなガイドラインやチェックシートの改訂をうながしているようだが、チェックシートの表記は変わっていない(8月22日現在)。苦肉の策として、同協会は8月20日に独自の「ガイドライン遵守証」を発行して、希望するライブハウスへの申請をはじめている(https://www.japan-mva.com/post/8-20-%E6%96%B0%E7%9D%80%E6%83%85%E5%A0%B1)。

「虹のステッカー」やガイドラインをめぐる問題は、ポストコロナ時代のライブハウス文化を考えるうえで重要になるだろう。それは、政治との関与を含めた、ライブハウスを取りまとめるためのアソシエイションの必要性を示唆している。同時に、今回のコロナウイルス禍では、ライブハウスが一枚岩になるような、いわゆる業界団体として機能することの難しさにも直面している。ガイドラインの策定に関しては、プレコロナ時代からの(機能不全に陥っていた)業界団体が存在感を示すことになったが、すべてのライブハウスに対して恩恵(あるいは効力)が届くわけではない。ほかにも、ライブハウスのみならず映画や演劇などの分野と協力しながら、政府に助成金を求めるロビー活動を展開する動きも見られるようになった。こうした動きは、これまで「文化」や「芸術」に対して消極的だった我が国の政策のあり方を見直す機会を提供している。とは言え、そこに関与しているのは、一部のライブハウスに過ぎない。さらには、クラウドファンディングによるライブハウスへの支援も積極的におこなわれるようになってはいるものの、ライブハウス文化の全体を俯瞰しながらの試みというよりも、個々のライブハウスの存続のための実践にとどまっているのが実情だ。また、ウイルス学専門家監修のもとで、ポストコロナ時代のライブハウスの実験的な試みもおこなわれている(http://www.theplayhouse.jp/schedule/schedule.html)。「文化」や「芸術」という側面からライブハウスを語ることは可能だが、その一方で、資本主義経済のもとで事業として運営しているライブハウスが多いのも事実だ。もちろん、ライブハウスが一丸となって、何らかのアソシエイションとして大きな困難を乗り切ることも必要なのかもしれないが、実際には目の前に直面する危機と向き合うことに疲弊しているライブハウスがほとんどだろう。遅かれ早かれ、個々のライブハウスは、それぞれの決断を強いられることになるはずだ。果たして、虹の彼方には、望めば叶うような夢があるのだろうか。