追悼アダム・シュレンシンジャー:「アメリカ郊外」を笑いに変えるインディーポップマエストロ(前編)

小森真樹

――2020年には、新型コロナウイルスによって多くの音楽界の才能が失われた。バンド「ファウンテイン・オブ・ウェインズ」のメンバーで知られる米音楽プロデューサーのアダム・シュレシンジャーもその一人だ。本稿は4月1日に氏が亡くなった際に私的に綴った追悼文である。当日から4月末にかけて書かれたものを編集して本誌に記す形を取る事で、その功績を顧みると同時に、コロナ禍におけるポピュラー音楽の記録としたい。前・後編に分けて公開する[1] … Continue reading。(時勢の記録を意図し、[追記:日付]という形で書いた日も記す。)

 

【前編 目次】

アーティストの訃報とコロナの実感
アダム・シュレシンジャーの仕事:①バンドマン ②音楽プロデューサー
①バンドでの活動
 A.ファウンテインズ・オブ・ウェイン
  出身とバンドの結成:アメリカ東部・郊外の記憶
  サウンド:「はずし」とサンプリング的なオールディーズの引用
  歌詞:小説的な世界観で描かれる「古き良き時代」の超=現実性
  歌詞:ノベルティソング的な笑いと批評性
  メジャーなインディー、メジャーなオルタナ
  ジャージー・プライドとバンド名の由来
 B.その他のバンドプロジェクト
  ティンテット・ウィンドウズ(Tinted Windows):2009〜
  フィーバー・ハイ(Fever High):2015〜
  アイヴィー(Ivy):1994〜

 

アーティストの訃報とコロナの実感

ファウンテインズ・オブ・ウェインのアダム・シュレシンジャーが新型コロナウイルス(COVID-19)を発症したというニュースが、数日前に入ってきて不安になっていました。その後メンバーのクリスがツイッターで「入院はしたけど回復傾向にある」と投稿していたため、重くは受け止めていませんでした。

病状を心配するクリスの投稿

しかし、翌4月1日、日本時間では早朝になりますが、合併症を起こして息を引き取ったという報せが入りました。愕然としました。以来喪失感の只中にいます。

この一件を経て、現在のコロナをめぐる混沌の季節にあって初めてコロナウイルスに対する忌避感と怨恨のような気持ち、静かな恐怖を強く覚えるようになりました。筆者は、普段ならばいわゆる著名人の死を大きく受け止める方ではありません。ですが、ティーンのギターキッズとしても、またアメリカ文化の研究者としても、彼の音楽とその世界観に少なからぬ影響を受けてきた身としてはショックが大きく、未だ心に曇りが残ります。

私たちは日々コロナウイルスで失われる命の「数」を聞き続けています。ところが、イタリアを始めとした世界各地で死者が増え続けているのを知ったとしても、これまではその事実に対して「距離」をとる事ができてしまっていました。自分が住む東京の話でさえも同様でした。しかしこの件を通じて、現在次第に「死」が近づいてきたように感じています。蔓延していた「死」が、これまでは自分のものではなかったことに気がついたのです。

自身を構成するカルチャーを生んだ人物が失われたこと。それは、未来の自分の一部が失われたのだという感覚でもあります。加えて、現在の都市封鎖的な危機状況では音楽だけでなく、美術、演劇、出版や飲食業といった文化の担い手たちが苦境に陥っています。社会からの働きかけでこれを救う事ができるのならば、文化・芸術への被害を最小限に留めたい。切実に思います[2] … Continue reading

以下では追悼の意味を込めてアダム・シュレシンジャーの仕事について振り返りたいと思います。これは同時に、筆者が自分自身に向けて書いた日記のようなものでもあります。ショックを受け止めるためにも、個人的な思いや記憶を言語化してみたいと思います。

 

アダム・シュレシンジャーの功績 ①バンドマン②音楽プロデューサー

アダム・シュレシンジャー(Adam Schlesinger)に関する最も王道の説明とは、1999〜2000年代にいわゆるパワーポップバンドとして活躍したファウンテインズ・オブ・ウェイン(Fountains of Wayne)のメインメンバーでベーシストというものです。そしてまた、映画やテレビ、舞台の世界で大活躍している音楽プロデューサーでもあります。

このように幅広い彼の活動を振り返れば、アメリカの娯楽産業一般に広く貢献したと評価するのが妥当なのだと思います。アワードからその評価を考えても明らかで、ノミネートされたのはアカデミー賞、ゴールデングローブ賞、エミー賞、トニー賞と多くの分野にまたがり、近作のテレビドラマ『クレイジー・エックス・ガールフレンド(Crazy Ex-Girlfriend)』ではエミー賞を受賞しています。現代アメリカを代表する作曲家・プロデューサーの一人と言えるでしょう。

一方日本での認知については、やはりインディーロックの大御所として知られています。パワーポップ好きのギターキッズを生み出した功績が大きいのではないでしょうか。かくいう筆者もそのうちの一人で、今でも時々ギターを手にすれば彼らの曲を爪弾いてしまいますが、くるりとかトライセラトップス、アジアン・カンフー・ジェネレーションなどといった歌心あるバンドのシーンを育んだのではないかと思います。

本稿ではアダムの功績を①バンドフロントマンと②プロデューサーの二つに分けて、それぞれ前・後編で振り返りたいと思います。前編の今回は、バンドにおける功績に焦点を当てていきます。

 

①バンドでの活動

A.ファウンテインズ・オブ・ウェイン

出身とバンドの結成:アメリカ東部・郊外の記憶

ニューヨーク・マンハッタンに程近いニュージャージー州モントクレアでユダヤ系の家庭に生まれ、高校時代までを過ごしたアダムは、1995年に大学で出会ったクリス・コリングウッド(Chris Collingwood)とファウンテインズ・オブ・ウェインを結成します。曲のクレジットでは二人の名前が併記されますが、実際のところ共作をしていない事が知られています。これについてアダムは、「あいつの曲の特徴がどうのこうのと言われたくなくて、バンド全体でアイデンティティを持たせたいから」と述べているように、意図して曖昧にしていたようです[3] … Continue reading

一方のクリスは、ペンシルヴァニア州ブーン郡のセラーズヴィル出身。最も近い大都市はフィラデルフィアで、二人が住んでいた街は車で数時間程度の場所ではあるものの、経済・生活の都市圏が異なります。つまり、同じ東部出身でも幼少期に見ていた風景がやや違うはずです。後で触れますが、このあたりは彼らが主なテーマとする「アメリカの郊外」のモチーフがどこに由来するのかを考えるときに興味深い点です。筆者も一時期フィラデルフィアに住んでいたので、まさにセラーズヴィルあたりの可愛らしいダウンタウン、モントクレアあたりの箱庭のような家々が並ぶ景色が目に浮かびます。

彼らの歌詞には、ハッケンサック(Hackensack、モントクレアよりもうちょいNYC寄り)やファイア・アイランド(Fire Island、NYCから東のロングアイランド島の下端)などと、多くの具体的な地名や固有名詞が登場します。二人の記憶風景が入り混じり、モザイク状に「アメリカの郊外」が描かれます。

彼らが通ったウィリアムカレッジはマサチューセッツ州にありますが、大西洋に面した州都ボストンとは全く逆の西端に位置し、周囲は国立公園だらけの森の中のキャンパスタウンです。アメリカ合衆国建国時にイングランド人が入植した、冬には氷点下10℃越えの寒い土地です。「Winter Valley Song」に出てくる「ニューイングランド」はこの辺りのことです。

 

サウンド:「はずし」とサンプリング的なオールディーズの引用

「パワーポップ」と一口に説明されることも多いのですが、そのサウンドについて詳しくいえば、「王道」というよりも「はずし」があるところに魅力があると感じます。曲のコードは、シンプルさよりも工夫された展開が目立ち、手癖でサスペンドが細かく入ったり(例えばsus4など)、コードが変わるタイミングがちょっとだけズレていたりします(「Radiation Vibe」)。シャッフルしたリズムのアコースティックギターが支えるカントリー調の曲も多く(「Hang Up On You」「Hey Julie」)、単調な繰り返しが続く歌モノの楽曲に深みを与えています。エレクトリックギターには、しっかりエフェクトを効かせながらファズのチープさを強調したりします(「Lost in Space」)。なんだかどこか懐かしい。

こうしたノスタルジックな音作りは、過去の作品を参照するサンプリング的な作法にも由来しています。最大のヒット作「Stacy’s Mom(ステーシーのママ)」のギターリフが、カーズの代表曲「Just What I Need」をほぼ引用のように使われているのはよく知られていますが、その他にもキンクスやビッグスターなどに強く影響されていて[4] … Continue reading、オマージュしているバンドを同時代のセンスで蘇らせるような、いわば再演された演劇のようなところがあります。

バンドがこうしたサウンドを作るプロセスを示すエピソードがあります。セカンドアルバム『Utopia Parkway』制作前にポージーズのドラマーだったブライアン・ヤング(Brian Young)が加入しました。このオーディションでブライアンが叩いてアダムとクリスが大興奮したのが、スティーヴ・ミラー・バンド(Steve Miller Band)の「Swingtown」のリフだったといいます。泥臭さを残した70年代のブルースロックの王道です[5]https://www.moderndrummer.com/2007/04/brian-young/

メロディックで秀逸なソングライティングが、1960〜70年代のクラシックなロックやカントリーに裏打ちされていることで、単なるポップなイージーリスニングを超えた安定感が生まれているように思います。

過去のバンドへのトリビュートについていえば、筆者がすごく好きなのは、キンクスの「Better Things」のカバーです。1981年にリリースされた本家の方は、シンセサイザーのようなヘナヘナした音をギターで出して脱力感満載なのですが、こちらはアップテンポにクリスが渋めのボーカルを聴かせてくれ、沁みます。

 

歌詞:小説的な世界観で描かれる「古き良き時代」の超=現実性

このように楽曲様式ではロックやフォーク、カントリーなどを引用することで「古き良き時代」の音楽を“再”演しているのですが、実はこれが小説的な歌詞が描く世界観と共鳴しています。アダムが生まれ育ったニュージャージー州に代表される「アメリカの郊外」の風景とは、アメリカ社会にとってまさしく「古き良き時代」を表象する場所なのです。

理解のために少しだけアメリカの歴史の話をします。第二次大戦後に経済的急成長を遂げたアメリカでは、1950年代には「普通の人たち」も豊かな家(house)を所有する事で幸せな家庭(home)を持って一生を過ごせるのだ、という理想の「型」が生まれます。アメリカン・ドリームと呼ばれるものです。つまり、中産階級が消費者層の大きな塊として出現し、彼らに「商品化された人生」が提供されたのです。この舞台となるその場所こそが、ニューヨークやフィラデルフィアといった大都市の郊外だったのです。ロングアイランドにあるレヴィットタウンはその代表格で、建売り庭付き一戸建てが立ち並ぶ計画都市がこれ以降普及していきます[6]デイヴィッド・ハルバースタム『フィフティーズ 1―1950年代の光と闇』筑摩書房、2015年

時代が下ると、郊外が放つ栄光だけでなく「影」についても語られるようになっていきます。現在では「郊外」こそが理想の暮らしだ、とイメージする人は多くないのではないでしょうか。ある時期から「郊外」には、ムラ社会的な息苦しさ、人々の生活の画一化による不健全さ、白人による人種的排他性といったネガティヴなイメージがついて回ります。ティム・バートンの『シザーハンズ』に描かれている、はぐれ者を排除する世間です。日本でも、大規模団地が経済成長のシンボルであり同時に「郊外の闇」として語られてきた事が思い出されます。

ファウンテインズ・オブ・ウェインはこうした郊外の物語の系譜にありますが、彼らの描く「アメリカの郊外」の世界にはちょっとひねりがあります。「古き良き時代=場所」の再演ではあるのですが、人々の暮らしぶりへの愛のあるまなざしが存在するのです。確かにそこでの生活は「退屈」や「平凡」が支配する世界にも見えます。しかし、固有名詞を用いて解像度を徹底的に上げて話に現実味を与え、かつパロディっぽくそれらを描くことによって、「郊外の闇」の奇妙さを面白おかしくも見せる。そんなねじれた愛のある目線を感じるところに、筆者は惹かれてきました。「善き郊外」も「ダメな郊外」をも通過した上で、徹底したリアリティにちょっとした「はずし」を与えてその現実を超越する。いわばシュールリアル(超=現実的)なところがあるのです。

 

歌詞:ノベルティソング的な笑いと批評性

他方で、徹底したパロディ化によって現実を笑い飛ばすという方法は、ノベルティソング的なそれだとも感じます。ノベルティソングは、日本でイメージしやすいのはコミックバンド的なものですが(奇しくも同じくコロナで亡くなった志村けんさんのドリフターズなど)、アメリカのノベルティの歴史にはまた別の形の伝統があり、それはキッチュさによる風刺です。1930年代からラジオ、テレビ、映画と広く知られた冗談音楽のスパイク・ジョーンズは、ドタバタ喜劇(スラップスティック)的にチャイコフスキーのクラシック音楽を再演しています。笑いによって原曲・ジャンルのもつ高尚さを風刺しつつ、大衆的な娯楽へと化粧をしなおしているとみることができます[7] … Continue reading

ファウンテインズ・オブ・ウェインが持つ、過剰に超現実な郊外へのまなざしには、ノベルティソングのもつ大衆性(笑い)と批評性(歴史への自己言及)と似たものを感じます。この点もとても魅力的です。全米規模で知られる最大のヒット曲「Stacy’s Mom(ステーシーのママ)」を取り上げてみましょう。

この曲で歌われているのは、小学生の男の子がガールフレンドの家に遊びに行きたがるのだけど、その真意には彼女のママへの恋心とおませな下心があるという話です。お母さんのタオル一枚のキワどい姿に翻弄され、「ねえ、僕お手伝いよくやったでしょ?」とチャイルディッシュなアピールをする可愛いオトコノコです。ここで出てくるお手伝いは「芝生刈り」です。これは、郊外庭付き一戸建てにつき物の家事で、「日曜のお父さん」が行う典型的な仕事です。(芝生が荒れると資産価値が下がるので、サボると近所からバッシングされます。そう、家を買ったが最後一生つきまとう「憑き物」なのです。)この「超」がつくほど平凡な生活に潜むリアルと可笑しさと脱力感が、多くの「普通のアメリカ人」に記憶されている「郊外あるある」として大衆にうけたのだと思います。

いい意味では奇抜な目新しさ、悪い意味ではそれ「らしい」だけの作り物といった両面があるノベルティソングですが、単なる可笑しさ・ギャグの曲というだけでなく、それ「らしい」キッチュさで批評を滑り込ませる作り物の美学が効いています。

 

メジャーなインディー、メジャーなオルタナ

ちなみに、この曲はアメリカだと本当に誰でも知ってるんだなと感じたことがあります。筆者がフィラデルフィアに住んでいた頃、友人が大きなステージのあるオープンマイクのカラオケバーで誕生日会を開きました。この曲をたまたま歌ってみたところ居合わせた観客が皆大合唱で盛り上がり、その知名度にとても驚きました。その近所にあるクラフトビールの醸造所も、定番ビールに「ステイシーズ・マム」と名前をつけてネタにしています。

今回の訃報でも、音楽メディアというよりも、CNNやニューヨークタイムズ誌などの大手メディアで速報が出るような反応でした。

Adam Schlesinger, Fountains of Wayne singer, dead at 52 from Covid-19 – CNN
Adam Schlesinger, Songwriter for Rock, Film and the Stage, Dies at 52 – NewYorkTimes

また、米公共ラジオ局のNPRには、各種ジャンルのミュージシャンがワシントンDCの自社スタジオで室内楽アレンジのミニコンサートをやる「タイニー・デスク・コンサート」というプログラムがあり、YouTube上で人気を博しています。数年前に彼らも登場して、素敵なアンプラグドの演奏を聴かせてくれました。

そういえば彼らは、ブリトニー・スピアーズの「…Baby One More Time」を、1999年というまさに彼女の絶頂期にカバーしています。これは、「反メジャー」という意味での「オルタナティヴな」ロック・バンドとしてのアイデンティティがあってこその可笑しさで、これにもノベルティを感じます。こうしたサンプリング的な再演によってノベルティ感を出すという発想があるあたりが、まさしくアダムのプロデューサーとしての力量を感じます。

 

ジャージー・プライドとバンド名の由来

ちなみに「ファウンテインズ・オブ・ウェイン」というバンド名は、アダムの出身地近くのウェインという街に実在したお店の名前です。庭に建てる飾り付けなんかを売っているデコレーションの店で、幼少期にアダムの母が彼を車に乗せて店の前の通る度に「バンドの名前に良いなあ」と呟いていたとか[8] … Continue reading。残念ながら2009年に閉店したみたいなのですが、「90年代にレコ屋に通勤してる時毎日見たなあ、『ジャージーDNA』の一部だわ」などと回想してるこんなツイートを見つけました。ニュージャージー州の人たちの誇りとなっているようですね。無くなってしまう前に一度訪れてみたかったものです。

筆者はFacebook上のファウンテインズ・オブ・ウェインのファングループに参加しています。アダムの死後は特に活発になったファンの投稿を読んでいて、日本ではファウンテインズの情報が少ないので、日本語と英語の両方で書き込んだところ、なんとアダムの同窓生が話しかけてきたことがありました(彼女の出身情報にもモントクレア、同じ高校が記載されていました)。ツアーの時、何度も日本に一緒に遊びに行こうって誘われたけど結局実現しなかったとか。日本でもこんなに人気で嬉しいわ!って。

[追記:4/20] さらに4月22日には、ニュージャージー州の団体が、コロナ禍のファンドレイジングイベントFund’s JERSEY 4 JERSEYを開きます。そこで、ファウンテインズの三人が再結成する(!)とのこと。アダムの死後初めてバンドとして公の場に登場、これまでバンドはほぼ活動休止状態だったのでこれは待望です。アダムに代わりベースにSharon Van Ettenが参加。同州出身のブルース・スプリングスティーンのラジオ番組でも放送されるようです。日本時間では23日の早朝です[9]追記:早速ファンが録画を投稿したものを見つけました。
https://www.facebook.com/groups/265185386971679/permalink/1679934942163376/

[追記:6/16] トリビュートアルバム”Saving For A Custom Van”がリリースされました。売上はコロナ対策基金に寄付されるということです。寄付は$10から。

30曲超の大作で、Netflixのドラマ『クレイジー・エックスガール・フレンド』の主演女優レイチェル・ブルームが「Stacy’s Mom」をカバーしたりしていて楽しいです。アルバム名の”Saving For A Custom Van”は、セカンドアルバム『Utopia Parkway』の表題曲の歌い出しのフレーズから取られています。

 

B.その他のバンドプロジェクト

ここまでファウンテインズ・オブ・ウェインを中心にアダムのバンド活動を説明してきましたが、この項目の最後に、その他のプロジェクトにも触れておきたいと思います。これらはサイドプロジェクト的で、どちらかというと後編で説明するプロデューサーとしての仕事に近いように思います。

ティンテット・ウィンドウズ(Tinted Windows):2009〜
フィーバー・ハイ(Fever High):2015〜
アイヴィー(Ivy):1994〜

ティンテット・ウィンドウズは、チープトリックっぽい曲をチープトリックのドラマーであるバン・カルロスをメンバーにして一緒にやる、というバンドです(笑)。まさにサンプリング的ノヴェルティの手つき。その他のメンバーにはスマッシング・パンプキンズのジェームズ・イハ、あのハンソンの真ん中兄ピアノのテイラー・ハンソンと名だたる面々が、ネタ的に集まったいわゆるスーパーグループです。

フィーバー・ハイは、宅録2人組デュオのアンナ・ノーディーンとレニ・レーンがチーピーな80s的シンセダンスポップで歌う、ブルックリンを拠点としたレトロおしゃれ感のあるバンド。アダムは一時期だけバンドに参加、楽曲提供とアレンジを担当しました。このPVは2015年にブルックリン周辺の街並みで撮られているのですが、ファッションだけでなく、画面構成や早回しや色味の加工など、徹底して80sMTVのパロディです。

このなかでアダムが最もアクティヴなメンバーとして活動していたのは、アイヴィーです。後編でも扱う映画『メリーに首ったけ』のテーマ曲「This is the Day」などのヒットソングも多く、アメリカのコーヒーショップやラジオでは今でもよく流れています。ウィスパーボイスのフランス人女性ボーカルのドミニク・デュラン、こちらもあとで紹介しますが、映画『あなたにすべてを』の音楽を手掛けたアンディ・チェイスとの3人組ユニットです。初期作セカンドアルバム『アパートメント・ライフ』は、いかにもなマンハッタンのアパート生活を描き、てらいなく都会的で透明な音像です[10] … Continue reading

アダムがこれらのバンドに自ら所属したことは、彼のプロデューサーとしての特色をとてもよく反映しています。後編で説明するように、数多くのバンドをプロデュースするなかでも、これら「所属した」バンドにもまた、それぞれ「オールディーズ・パワーポップ」「80sシンセポップ」「都会派フレンチポップ」とテーマを見出すことができます。ここにもまた、一種音楽ジャンルをパロディ化する演劇的な要素が感じられるのです。後編ではアダム・シュレシンジャーのプロデュースの仕事に焦点を当てていきたいと思います。

(続)

 

脚注

1 4月1日に新型コロナウイルスで惜しくも亡くなった、ファウンテインズ・オブ・ウェインのアダム・シュレンシンジャーについて追悼文を綴りました。
2日に草稿を書いてから改稿を繰り返していて、文字数も公開までの道のりも、長大なものになってしまいました。知る限りでは、アダムはもとよりファウンテインズ・オブ・ウェインについて日本語で書かれた最長の評論(約17,000字)ではないかと思います。
2 逆に、生命の危機に対する恐れもここから生まれてきました。なるほど実感にはこういう順序があるんだなとも思ったのですが、今回の感染症には同じような受け止め方をしている人が意外に多いのではないかとも感じました。新型コロナウイルスは、感染者が高い確率で症状に気づかず、重症化率も比較的低い。そのため潜在的な感染可能性を予測しながら社会機能を大幅に制限する必要がある。こうした特徴があるからです。つまり、実感が湧きにくく、より「目に見えない」のです。これに対して、各国は各時点で人々の行動を制御するために、正しく恐怖心を煽ろうとしたり経済補償をしたりと画策していますが、現時点(4月13日)では日本社会はそのことに成功しているとは到底思えません。
3 https://americansongwriter.com/fountains-of-wayner-bright-future-in-sales/2/

また、Facebookのファングループで、諸々の情報源からどちらが作曲したのかを全曲予想したリストが共有されています。
https://www.facebook.com/groups/265185386971679/permalink/1674788212678049/

4 https://www.nytimes.com/2020/04/01/arts/music/adam-schlesinger-dead-coronavirus.html?action=click&module=Well&pgtype=Homepage&section=Obituaries&fbclid=IwAR2wNW3VgHvcsAHBel8DilE3uTOTpc_MjM1idNm3Bjo_VYRcduXzCz1nb3o
5 https://www.moderndrummer.com/2007/04/brian-young/
6 デイヴィッド・ハルバースタム『フィフティーズ 1―1950年代の光と闇』筑摩書房、2015年
7 この番組の冒頭では、音楽の進化として石器時代の音楽からクラシック音楽、ジャズと進化してジョーンズによる「最新の音楽」がまた石器時代と同じものに戻っているというネタが披露されています。ここにもクラシック音楽のもつ高尚さへの批評性が見てとれ、反エスタブリッシュメントという意味での反知性主義的なアメリカの伝統とも見る事ができるかもしれません。
https://www.youtube.com/watch?v=Be7O9g2sphw
8 なお、日本語のウィキペディアの記述では出典なく「アダムの近所のウェイン家の庭説」が記されていて、これは誤りではないかと思います。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ファウンテンズ・オブ・ウェイン
9 追記:早速ファンが録画を投稿したものを見つけました。
https://www.facebook.com/groups/265185386971679/permalink/1679934942163376/
10 筆者が初めてニューヨークを訪れたとき、本作は旅行用CDケースに厳選された一枚を飾り、行きの機内でCDプレーヤーで繰り返し聴いた事を思い出します。