追悼アダム・シュレンシンジャー:「アメリカ郊外」を笑いに変えるインディーポップマエストロ(後編)

小森真樹

――本稿は、新型コロナウイルスで4月に亡くなったアダム・シュレンシンジャーの功績を振り返りながら、コロナ禍における一ファンの記憶を残すという趣旨で綴ってきた。前編では、主にファウンテインズ・オブ・ウェイン作品の考察を通して氏の活動がプロデュース的な美学に貫かれていた事を見た。続く後編では、彼の仕事を貫く柱ともみえるプロデュース業に焦点を当てて幅広く紹介していきたい。

 

【後編 目次】

②音楽プロデューサーとしての顔
A. 音楽プロデュース、楽曲提供
 デヴィッド・ミード(David Mead)
 ダン・ブリック(Dan Bryk)
 マイク・ヴァイオラ(Mike Viola)
B. 映画での活躍
 映画:『すべてをあなたに(That Thing You Do!)』(1996年)
 映画:『メリーに首ったけ(There’s Something About Mary)』(1998年)
C. テレビと演劇での活躍
 テレビ:『スティーヴン・コルベアのクリスマス(A Colbert Christmas: The Greatest Gift of All!)』(2008年)
 テレビ:『セサミストリート(Sesame Street)』(2009年)
 テレビドラマ:『クレイジー・エックス・ガールフレンド(Crazy Ex-Girlfriend)』(2015〜2019年)
 演劇:『アン・アクト・オブ・ゴッド(An Act of God)』(2015〜2019年)
ノスタル・インディーなセンスをメジャーへ

おわりに
 長い間、「フィールドワーク」をしてきたようだ
 R.I.P.なんて、なくても良かったけど。

 

音楽プロデューサーとしての顔

2003年の「Stacy’s Mom」のスマッシュヒットによってファウンテインズ・オブ・ウェインは、インディーロック界のみならず、文字通り一世を風靡することになったわけですが、レーベルとの契約のゴタゴタやツアーのストレスなどからクリスの健康状態が次第に悪くなり(日本公演でのキャンセルもありました)、解散説も流れる中で、その後何とか二枚のオリジナルアルバムを完成させてきました。残念ながらファウンテインズ・オブ・ウェインとしては2011年の『Sky Full of Holes』が最後の作品となってしまいました(レーベル移籍後の本作のみSpotifyで公開されないのにも事情がありそうです)。そのような中で、アダムの活動の中心はプロデューサー業となっていきます。

本国アメリカに比べると、日本ではプロデューサーとしての知名度は「知る人ぞ知る」ものかもしれません。しかし、彼の楽曲・企画が使われている映画やテレビなどの作品は日本でもよく知られています。例えば、キャメロン・ディアス主演の『メリーに首ったけ(There’s Something About Mary 1998)』や、トム・ハンクス主演・初監督の『すべてをあなたに(That Thing You Do! 1996)』は日本でもヒットしました。セサミストリートの楽曲も手掛けていたり、近年ではエミー賞を受賞しヒットしたNetflixドラマ『クレイジー・エックスガール・フレンド(Crazy Ex-Girlfriend)』もよく知られています。

 

A. 音楽プロデュース、楽曲提供

彼がプロデュースに携わった作品を楽曲単位までで見ると非常に多く挙げきれないのですが、Tahiti80、They Might Be Giants、Verve Pipeなどが出色でしょうか。

面白いのは、ビートルズのような位置づけで1960年代に活躍したアイドルバンドのザ・モンキーズ(The Monkees)のデビュー50周年記念アルバムの仕事です。2016年にリリースされた本作『Good Times!』には、Oasisのノエル・ギャラガー、The Jamのポール・ウェラー、Weezerのリヴァース・クオモや、ハリー・ニルソンなど超がつくほど豪華な面々と共に楽曲を提供しています。このアルバムは、本家のご本人をいわば「素材」にして、時代のセンスでリバイバルをしているという構図になります。(冗談音楽からの連想でやや脱線しますが、クレージーキャッツのパロディのような音楽を作ってきた大滝詠一が、後に植木等のアルバム『植木等的音楽』をプロデュースしたのにも似ています。)本作には、他のファウンテインズ・オブ・ウェインの面々も演奏で参加しています。

先に挙げたアダム自身が参加したバンドほどには総合プロデュース的な作品ではないものの、個人的に特にオススメしたいのが以下のミュージシャンです。彼らの楽曲の中でアダムがプロデュースしていないものと聴き比べてみても、アダムの音作りはやはり独特で好みです。

  デヴィッド・ミード(David Mead
  
ダン・ブリック(Dan Bryk
  
マイク・ヴァイオラ(Mike Viola

デヴィッド・ミードは、テネシー州ナッシュビルで活躍する弾き語りの歌い手。エモく甘い歌声とアコースティックギター1本で超絶聴かせます。セカンドアルバム『Mine and Yours』(2001)、セブンスの『Dudes』(2010)がアダムのプロデュースです。ファウンテインズ・オブ・ウェインの『Welcome Interstate Managers』(2003)のエンディングナンバー「Yours and Mine」は、ミードとの仕事からインスパイアされたのだろうと想像します。

ダン・ブリックは、カナダはオンタリオ育ち、トロントを本拠地にする歌歌い。こちらはピアノでの弾き語りです。音大に通った彼は、声を裏返しながら美メロ・美声で泣き虫ポップを聴かせてくれます。

例えば「BBW(Chunky Girl)」は、太っちょキュートな彼が太っちょ乙女への純愛を歌う、とかキュンキュンな名曲。(「彼女は”ほぼ”完璧」とかいうのも+1キュン。)ジェームズ・イハ設立のScratchie Recordsからのリリースです。(なお、ファウンテインズ・オブ・ウェインもこのレーベルから何枚か出しています。)ダンは、元ペイヴメントのスティーヴン・マルクマスの日本ツアーの前座をやっていましたが、両者には日常を小説的に描くローファイ・ポップという共通点があり、とてもよくわかるマッチングです。

そんな彼の最高傑作『Lovers Leap』は、こちらで全曲全編視聴できます。日本版CDには3曲ボーナストラックあり。

マイク・ヴァイオラは、アダムとも付き合いの長い、グラミー賞候補の名プロデューサーです。長くなるので本稿ではそちらのキャリアは割愛しますが、バンドではソロ名義のほか、Candy Butchers名義でも作品を多く残しています。ダミ声にこぶしを利かせて、ちょいダサ感が素敵な90年代らしいパワーポップです。『Falling into Place』が佳作。最近ではオールドスクールなファンクグループVulfpeckの「For Survival (feat. Mike Viola)」で歌っていて、こちらも最高!

ちなみに、本作には”Diner ver”なる、ダイナーが開店準備してる中ちょっとウザがられながら一人で歌ってるバージョンもあります(笑)。

 

B. 映画での活躍

ミュージシャンのプロデュース以上に、アダムのプロデューサーとしての手腕が発揮されるのは映画やテレビ、演劇での仕事ではないかと思います。それはやはり、アダムの得意技は、キャラクターやストーリーやテーマを駆使して一つの世界観を作る事だからなのだと思います。以下ではこれらを紹介していきます。

映画:『すべてをあなたに(That Thing You Do!)』(1996年)

本作は、『Big』(1988)『フィラデルフィア』(1993)そして何より『フォレスト・ガンプ』(1994)で超一流の仲間入りをした俳優トム・ハンクスの初監督作です。日本でも人気を博した青春バンド映画です。

前編では、ファウンテインズ・オブ・ウェインの楽曲を分析して、サンプリング的なリバイバルとノベルティ感について説明しました。同様の要素が最も現れている良作がこの映画です。

舞台は1960年代の東部ペンシルヴァニア州。ビートルズがまだまだ「不良」のアイコンと見られていた時代の話。ここでもやはり、典型的なアメリカの郊外の街が舞台になっています。五人の若者がガレージでのセッションに始まり、プロムでのライブ、田舎町のライブハウス、ローカルラジオ局出演、レーベルからのスカウト、ツアーへの参加、ハリウッドの音楽産業への参加…と上り詰めていく青春ものです。各メンバーのキャラクターが、音楽ナード、ナンパ野郎、真面目な愛国主義者(軍に入るためにバンドを辞める)、アーティスト気質…と面白く対比され、時代の雰囲気をステレオタイプ的にコミカルに描きます。90年代から回顧した憧れの「60年代(シックスティーズ)」で、サンプリング的リバイバル感を醸し出しています。

青春時代にバンドキッズだった人たちにとってはどのシーンも堪らないのですが、やはり高校の体育館パーティでの演奏シーンが最高です。新しく加入したジャズオタクのドラマーが、トチって(狙って?)リズムを早くすると、あ、ヤバい、でもなんとかしなくちゃ…と舞台上のメンバーには焦りの顔。しかし意外な展開に。フロアのみんなもノリノリで踊り始め、観客の歓声、結果的には大成功して本人たちも戸惑いつつ大興奮。これは、一度でもステージに立ったことがある人の心には刺さるのではないでしょうか。

ちなみに、このシーンが撮影されたのは、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で主人公のマーティが、両親が恋に落ちるプロムで演奏したのと同じ会場だそうです。実際にはハリウッドのとある教会で、『天使にラブソングを』でも使われたハリウッド映画でお馴染みの撮影スポットなんだそうです[1]https://t.co/sLqP8JKZd0?amp=1。タイムマシンで1950年代に戻ったマーティが流れで演奏をうながされ、即興で思いついた“オールディーズ”は、チャック・ベリーの「ジョニー・B・グッド」。“革新的”なサウンドに会場は大盛り上がり。実は演奏中のバンドマンの従兄弟がチャックだったという設定で、電話越しにマーティの演奏を聴かされたときにこの曲を思いついたというジョークが効いています。

ところが、これには監督のロバート・ゼメキスが、白人による黒人文化の「盗用」を肯定的に描こうとする意図があったという但し書きがついてしまいます[2]町山智浩『最も危険なアメリカ映画』集英社、1996年。とはいえ、バンド映画史に残る、歴史ネタの二大名シーンでであることは間違い無いでしょう。

さて、このタイトル曲の作曲や演奏はもちろんアダムなのですが、実はボーカルは吹き替えで、上で紹介したマイク・ヴァイオラが歌っています。次の動画は、トライベッカ・フィルムフェスティバルのゲストでこの曲を歌う、アダムとマイクです。イベントでのセッティングで素人が撮影している音源なので、こちらの方がなんだか素人バンドくさいのですが本物です。

[追記4/20]4月18日には、映画内バンドの「オニーダーズ」ことザ・ワンダーズ(The Wonders)のメンバーが勢揃いで、YouTubeで同窓会を開きました。(オニーダーズOnedarsとは、The BeatlesやThe Monkeesなど当時のバンドのように綴りを工夫したところ誤ってこう読まれてしまうというネタからきています。)映画を流しながらコメンタリーをつけるウォッチパーティ形式で、裏話を喋りながらアダムの追悼をしました。コロナ基金のファンドレイジングでもあり、イベントへの寄付や、オークション形式で販売したレア音盤の売り上げは、全額「アダム・シュレジンジャー」の名義で寄付されたそうです。

映画のキャストには、リヴ・テイラー(エアロスミスのボーカルの娘さんですね)、シャーリーズ・セロンなどの大物もいて、しかも当初「サプライズゲストも登場!」とのアナウンスがあったので色々噂が立っていました。ひょっとすると新型コロナウイルス陽性診断後めでたく公の場に姿を見せていたトム・ハンクスが現れるか?とも思われましたが、当日は息子のコリン・ハンクスが登場しました(実は本作にもちょい役で出ている)。メンバーととても仲が良さそうで楽しい雰囲気でした。(ビールでも飲みながら参加したかったのですが、日本では早朝だったのでコーヒーで参加しました。)

ザ・ワンダーズ同窓会コメンタリーイベント

イベント動画(フル)https://www.youtube.com/watch?v=bz6SSRK-okQ&t=188s

映画:『メリーに首ったけ(There’s Something About Mary)』(1998年)

さて、『すべてをあなたに』はアダムお得意のサンプリング的リバイバル感が満載のゴキゲンな作品でしたが、こちらは楽曲の魅力が詰まった音楽映画の傑作です。アダムは楽曲提供で参加しています。監督は、近作では『グリーンブック』で知られるファレリー兄弟。サントラがよく出来たコンピレーションアルバムのようで、インディーロックの宝玉ジョナサン・リッチマンを筆頭に、レモンヘッズ、ダンディ・ウォーホルそしてアイヴィーと粒揃いの選曲です。映画自体でも音楽がフィーチャーされ、ジョナサンがカメラ目線の語り手としても現れるという作りになっています。

 

C. テレビと演劇での活躍

アダムのプロデュース業は、映画だけでなくテレビや舞台の世界にも拡大します。幅広いジャンルで活躍したことで、彼のインディーかつノスタルジックなセンスがいっそう世に広がっていくことになりました。

テレビ:『スティーヴン・コルベアのクリスマス(A Colbert Christmas: The Greatest Gift of All!)』(2008年)

例えば、深夜トーク番組の司会者のスティーヴン・コルベア(Steven Colbert)によるクリスマス番組での仕事です。「レイトナイトトークショー」とも呼ばれるアメリカのテレビ番組の伝統的な様式で、ホストのコメディアンの名を冠して毎晩放映される、音楽と時事風刺を主軸としたバラエティ番組です。多くは毎日夕方頃に録画して、その日に起こったニュースが早速時事ネタとしていじられます。

映画『ジョーカー』やその元ネタ『キング・オブ・コメディ』で描かれているように、冠番組を持つのは大変名誉なことで、テレビ有名人の代表格になります。クリスマスの特番も定番ものです。

2008年のグラミー賞にも輝いたこのクリスマススペシャルで作曲を担当したのがアダムでした。エルヴィス・コステロや人気番組司会者のジョン・ステュワートなどが本人役で登場し、ウィリー・ニルソンなども流石の人選です。ノスタルジックかつ野暮くならないリバイバルを成功させています。本作の代表曲は「Another Christmas Song」ですが、”another”というワードチョイスにオルタナ感が香っています。

テレビ:『セサミストリート(Sesame Street)』(2009

誰もが知っている子供向け番組のパペット劇セサミストリートにもアダムはミュージカルを書き下ろしています。2009年頃に参加してコミカルでノヴェルティな曲をたくさん作っています。

例えば、「There’s an App for That(それならアプリがあるよ)」は、自転車パンクしたら、iPogoを探せばそれ用のアプリがあるよ、猫の毛を解かすにもアプリがあるよ、バターを切るにもアプリがあるよ…という歌詞の曲です。デジタルネイティヴの子供たちがなにをする時でもまず「アプリを使って!」と思ってしまう気持ちへの共感を呼びながら、行き過ぎたデジタルディバイスへの依存状況をパロディにするような楽しい曲です。

その他多くの楽曲がありますが、なかでも「I Wonder(そうかなあ?)」が名曲です。子供の頃、「なぜ、なんで」とどんな事にも疑問を持っていた経験は誰しもあるのではないでしょうか。この曲は、「なぜ」という気持ちは、理性を超えたもので、それ自体がうつくしいのだと歌っています。

その他の曲はこちら:

RIP Sesame Street Composer Adam Schlesinger | Muppet Fans Who Grew Up – Tough Pigs Muppet Fans Who Grew Up – Tough Pigs
http://www.toughpigs.com/rip-sesame-street-composer-adam-schlesinger/

テレビドラマ:『クレイジー・エックス・ガールフレンド(Crazy Ex-Girlfriend)』(2015〜2019年)

エミー賞で各部門を総なめにしたミュージカルドラマです。レイチェル・ブルーム演じる主人公は、ユダヤ系の超エリート女性。彼女が「クレージー」な恋愛に周囲を巻き込んでいくロマンチック・コメディです。ニューエイジ・スピリチュアリティ、ヒップスターや健康志向、精神疾患と薬物依存症、家族関係の重圧、奔放な性と性道徳、女らしさ・男らしさの神話など、現代社会ではごく身近なしかしアメリカらしい要素が山ほど盛り込まれており、これらを通してアメリカ社会の「人種」「階層」「ジェンダー」「家族」「宗教」「都市と郊外」などが、徹底してアイロニカルで抱腹絶倒の喜劇として描かれます。

それらは「あるある」なステレオタイプですが、そうして紋切り型にしてしまうこと自体も、パロディとしてカラッと笑い飛ばしてしまうので爽快です。登場人物たちが、調子の良い楽曲を歌い上げながら力一杯に踊っているのだけれど、歌詞を聴けば、彼らの置かれたどうしようもない状況や、馬鹿馬鹿しい悩みを描写しています。ここまで深刻な設定を冗談にして大丈夫かと時折心配にもなりますが、苦笑と爆笑を行ったり来たりする楽しい体験が得られるドラマです。

曲調に合わせた映像演出もカラフルです。音楽スタイルも、カントリー、ファンク、ハードロック、ジャズ、ラップからアイルランド民謡までと挙げ始めるとキリがありませんが、映像も、ミュージカル(キャッツ)に映画(ラ・ラ・ランド)に子供向け番組(セサミストリート)にMV(ブリトニー・スピアーズ)まで、どっちを向いてもパロディです。曲の多くはプロデューサー・主演のブルームとアダムの共作ですから、本作の成功は、その筋書きからサウンドまで総合的に演出したところに依るものでしょう。本稿の前編では、アダム・シュレシンジャーの楽曲について「ノベルティソング的な笑いと批評性」と解説しましたが、このドラマは、初めから終わりまでこうした特徴に貫かれています。

[追記:2021/01/18] 名プロデューサーのフィル・スペクターが亡くなったそうです。1950年代からポップス・ヒットを生み続け「壁の音」と呼ばれる分厚いサウンドで知られた名プロデューサーです。奇しくも、彼もアダムと同じく新型コロナウイルスで起こった合併症が原因とのことです。このドラマにもスペクターサウンドをパロディにしたと思しき曲があって、悪天候で知られる「サンタ・アナ地方の風」[3] … Continue readingを擬人化したキャラクターが、盛期のスペクターのルックスでロコモーションのようなダンスを踊っています[4]スペクターと並び称されるフォーシーズンズとフランク・ヴァリだという説もあります。混成にも思えます。 https://cxg.fandom.com/wiki/Santa_Ana_Winds

演劇:『アン・アクト・オブ・ゴッド(An Act of God)』(20152019年)

映画やテレビに加えて、舞台にも曲を書き下ろしています。本作はオフ・ブロードウェイの演劇で、コルベアの企画や『クレイジー・エックス・ガールフレンド』でもタッグを組んだ盟友コメディライターのデイヴィッド・ジェイバーバウム(David Javerbaum)との仕事です。これがまた強烈なパロディ作品で、脚色の元ネタはなんと旧約聖書。聖書の節を引用しながら皮肉な言葉を呟き続けるツイッターアカウント@TheTweetOfGodの投稿が原作となっています[5]https://twitter.com/TheTweetOfGod?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor。ユダヤ系の彼らしい仕事です。

時折り天使も登場するのですが、基本的には神様による独白の一人芝居となっています。この世の創造主のことをはちゃめちゃで自分勝手な下衆いやつとして描き、徹底的に茶化しています。題の「An Act of God」は、actをダブルミーニングと取って、「神の仕業/芝居」とでも訳せるでしょうか。

2015年の初演時には、大人気テレビドラマの『ビッグ・バン・セオリー』の主役ジム・パーソンズが神様を演じたこともあり、プラチナチケットになりました。運よく抽選に当たり鑑賞することができたのですが、時差ボケの目が覚める抱腹絶倒な出来でした。コロナパンデミックの前にはすでに休演していたのですが、再演があったらぜひ観てほしい作品です(宗教ネタに疎い人でも、聖書のことを軽く予習しておけば大体楽しめると思います[6]https://www.nytimes.com/2015/05/29/theater/review-an-act-of-god-with-jim-parsons-as-an-almighty-comedian.html)。

神様@TheTweetOfGodのアカウントは今でも時々活動しています。今年4月1日のツイートは、「遅かれ早かれ、死ぬ確率は100%(Sooner or later the death rate is 100%)」でした。これは「神様」からアダムに贈られた、最高の追悼の言葉ではないでしょうか。

 

ノスタル・インディーなセンスをメジャーへ

映画から始まりテレビから演劇にまで至るアダムの仕事によって、ロック音楽のノスタル・インディーなセンスがアメリカのメジャーシーンへと届けられたように思います。アメリカの大手キー局のテレビやラジオでは、視聴しているとSEなどで突然オヤッと思うマイナーな音楽がかかることがあります。これは、メジャーの現場にも、インディペンデントな世界で生まれる「尖った」表現を評価する回路があるということです。

いっぽう日本のことを考えると、1980年代や90年代の半ばくらいまでは、そういうことも一般的だったように思えるのですが、現在はそういうことが特に少なくなっているように感じます。経済的な逼迫が大手企業に「会議」で作品を作らせているとか、インターネットで世界が断絶したとか、色々な理由があるのだと思いますが、メイン/サブのカルチャーが交わらず別個に存在しているようにも見えます。アダム・シュレシンジャーの作品群はアメリカで文字通りメジャーで大人気なわけですが、彼の残した功績とは、こうしたウェルメイドなインディーの面白さを大衆に伝道した点にもあるのだと思います。

 

おわりに

長い間、「フィールドワーク」をしてきたようだ

長々と振り返ってきました。ところで筆者は文化人類学やアメリカ研究に携わる研究者なのですが、今回の悲劇を通じて、彼と周辺の活動について自分の記憶に引きつけながら考えました。岡山のタワーレコードの試聴機で彼の音楽に出会った高校生のときから、なんだか長い間「アメリカの郊外」で「フィールドワーク」をしていたようにも思えてきました。大学院生になって、アメリカ東部の郊外で実際に実施するようになったフィールドワークでは、こんなことがありました。民族誌的に綴った回想を以下に引用して、この稿をくくりたいと思います。

 

アダムがインタビューで、「小さい頃キンクスを聴きながら行ったこともない英国に住んだらこんなかなあと思ってた」と答えているのだけど、まさしく僕はファウンテインズを聴いて「行ったこともない米国の郊外に住んだらこんなかなあ」と思っていたんだよね。

それから十年ほど経って、アメリカの郊外でフィールドワークをするようになった。何マイルも何マイルも何もないケンタッキー州やオハイオ州のインターステートを走りながら『Welcome Interstate Managers』を聴いたよ。

ケンタッキーの森の中に住んでる友人ができた。60年近くこの土地に住む生粋のローカル。しばらく家に泊めてもらい、居間で音楽を聴きながら仕事をしていたら、ある時ふとこの曲がかかって、友人が叫ぶ。「ケンタッキーバーボン!」

Hung Up On You」この曲はなんちゃってカントリーソングなんだよ、おもろいでしょって、ファウンテインズのアイロニーが好きなんだって話をした。超保守的な人々が多いこの土地に住むリベラルなその友人は、カントリーのことを、ラジオでまあ流れるけど、古臭くて聴かんなあ。でもこのバンドはおもろいわ、って。

「この曲は、数キロしか離れていない家に住んでるのに、恋人に電話する勇気がなくて、アフリカにいるみたいだなあって歌なんだよ」って話しながら、一緒に聴いた。多分これはニュージャージーの話だけど、友人は僕のパソコンからケンタッキーの歌が流れて嬉しいというので、そういうことにしておいた。

 

R.I.P.なんて、なくても良かったけど。 

この原稿を一度書き終えたのは4月2日頃で、それから書き加えては消したりを繰り返していました。訃報を知って原稿を書き始めてから既に20日ほどが経ちました(4月22日時点)。その間、悲しみだけでなく、ある種の慎重さが頭の片隅で働いて、しばらくアダム・シュレシンジャーの残してくれた音楽をまともに聴けないでいました。

コロナウイルスを始め、日々目まぐるしく情報が流れていくなかで、良い「追悼」とは何かと考えていました。情報の洪水の中で彼の音楽にまみれるのは何か違うのではないか。数日数週のあいだ作品を消費し、すぐにそれを忘れていく。それは単なる「忘却」であって、死を悼むという意味での「追悼」とはむしろ対極にあるものではないか。このような警戒をしていたのです。

いつ聴き始めようかと迷いながら、そうだと思いつきました。「書いて、噛み締め、聴く」――このくらいのスローな時間の流れこそが、追悼にふさわしいのではないかと思い、この原稿をゆっくりと仕上げようと思いました。ギターキッズ上がりのアメリカ文化の研究者に、「ポップな音楽」と「彼の地への思索」という二つの贈物を与えてくれたことに、心から感謝をしています。

本稿は極私的なものなので、蛇足を加えることを許していただきたいのですが、アダムの死後ファウンテインズ・オブ・ウェインが再結集するのが、偶然にも筆者が生まれた4月22日になりました。自分にとってこの記事は、「死と再生」の物語となりました。今夜はメキシカンワインで乾杯をして、ファウンテインズ・オブ・ウェインを聴き始めようかと思っています。

(了)

 

脚注

1 https://t.co/sLqP8JKZd0?amp=1
2 町山智浩『最も危険なアメリカ映画』集英社、1996年
3 この名で知られる吹き下しの風で、しばしば小説、劇、楽曲など創作では「突然の怒り」や「奇妙な力」など比喩として使われる。ビーチボーイズにも同名の曲がある。
4 スペクターと並び称されるフォーシーズンズとフランク・ヴァリだという説もあります。混成にも思えます。 https://cxg.fandom.com/wiki/Santa_Ana_Winds
5 https://twitter.com/TheTweetOfGod?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor
6 https://www.nytimes.com/2015/05/29/theater/review-an-act-of-god-with-jim-parsons-as-an-almighty-comedian.html