宮入恭平
かつてあったはずの日常は、新しい日常生活(ニューノーマル)なるものへと変わりつつある。5月14日には全国の39県で緊急事態宣言が解除されるも、8都道府県は引き続き緊急事態宣言の対象地域になっている。そして東京都では、その実態はさておき、少なくとも数字上の感染者数は減少傾向にある。このままの状況(5月20日現在)が続けば、5月末までに緊急事態宣言が解除される可能性は高いだろう。とは言え、ライブハウスの惨状はしばらく続きそうだ。安倍晋三首相は緊急事態宣言が解除された当日に記者会見をおこない、「多くの地域における緊急事態宣言の解除によって、ここからコロナの時代の新たな日常を取り戻していく。きょうはその本格的なスタートの日であります」と高らかに謳った。そして、解除された地域の住民へ向けて、ちあきなおみの「四つのお願い」ならぬ「3つのお願い」をしたのだ。「解除された地域の皆さんに、3つのお願いがあります。第1は少しずつ、段階的にということです。県をまたいだ移動については、少なくとも今月中は可能な限り控えていただきたい。第2は、前向きな変化はできるだけこれからも続けてほしい。この1カ月でテレワークが普及しました。この前向きな変化を今後も継続していただきたい。第3は、日常のあらゆる場面で、ウイルスへの警戒を怠らないでいただきたい」と語ったうえで、安倍首相は「とくに3つの密が濃厚なかたちで重なる夜の繁華街の接待をともなう飲食店、バーやナイトクラブ、カラオケ、ライブハウスへの出入りは、今後とも控えていただきますようにお願いいたします」と付け加えたのだ。緊急事態宣言が解除されたからといって、ライブハウスの出入りも解禁になるわけではないのだ。なるほど、「3密」の巣窟よろしく、ライブハウスは避けるべき場所の代名詞になっている。ライブハウスのスケープゴート化、もしくはスティグマ化は、すっかりと日常に溶け込んでいるというわけだ。もちろん、ライブハウスが感染拡大の源になる可能性は極めて高い。そもそも、2月にライブハウスからクラスターが発生したのは紛れもない事実だ。そして、何よりもライブハウスはみずから、その事実を真摯に受け止めている。それは、多くのライブハウスが営業を(強制ではなく、文字どおり)自粛してきたことからも明らかだ。
東京都内のライブハウス175店を対象にしたウェブ上の調査では、緊急事態宣言が発表される前日の4月6日時点で、すでに83店が営業を自粛していた。これは東京都の小池百合子知事が3月25日におこなった記者会見で、ライブハウスなどへの自粛要請に応じたものと考えられる。もっとも、それよりもさかのぼって、3月に入った時点で営業を自粛していたライブハウスも少なからずあった。もちろん、その自粛の背景には、ライブハウスのみの判断だけではなく、出演するミュージシャンや来場するオーディエンスの判断も含まれている。いずれにしても、ライブハウスの自粛は、国や行政からの強制的な自粛ではなく、あくまでも自発的な自粛というわけだ。そして、4月7日に政府から緊急事態宣言が発表されると、175店のうち130店が休業、すでに自粛していた83店のうち47店が自粛期間の延長を決めた。続いて、4月10日に東京都から休業要請が出されると、175店のうち141店が休業、14店が自粛期間のさらなる延長を決めた。その後、無観客ライブの配信は休業要請の協力金支給に支障をきたさないことが明文化された4月20日には、175店のうち160店が休業状態になっていた。もちろん、残りの15店も通常どおりの営業が困難なことは併記しておくべきだろう。さらに、5月4日に緊急事態宣言の延長が発表されると、休業していた160店のうち88店は、緊急事態宣言の期間に合わせて休業期間を5月31日まで延長した。そうなると、たとえ協力金があるとはいえ、「補償なき自粛」のままではライブハウスに先の見えない不安がのしかかる。4月中旬におこなわれた「Save the little sounds」の調査によると、全国13都道県でライブハウスやクラブを運営する46事業者のうち、営業停止したまま自力で継続できるのは約3カ月以内と回答したのは約9割(41事業者)にのぼっていた。実際のところ、「支援金は1回限りの給付では、1回家賃を支払ったら終わりになってしまう」という状況だ(「ライブハウス、休業3カ月が限界 音楽家団体調査で9割が回答」中日新聞、2020年4月23日)。
多くのライブハウスではクラウドファンディングやオリジナルグッズの販売、あるいは有志による支援プロジェクトなどで持ちこたえようとしているが、本来の収入源となるライブそのものが制限されている以上は、あくまでも急場凌ぎに過ぎない。そんなライブハウスの危機的状況に対して、すでに3月末には助成金の交付を求める署名活動「#SaveOurSpace」がおこなわれている。この署名運動を立ち上げるきっかけになったのは、とあるライブハウス経営者の悲痛な叫びだった。そもそも、ライブハウスやクラブといった「わたしたちの場所を守ろう」という立ち位置ではじまった「#SaveOurSpace」は、「新型コロナウイルス感染拡大防止に努めるあらゆる人の仕事と生活を守る継続的な支援を求める署名」を訴える「#SaveOurLife」へと広がりを見せることになったのだ。例年ならば「ゴールデンウィーク」と呼ばれる5月の大型連休だが、今年は「ステイホーム週間」なる陳腐なキャッチコピーにすり替えられてしまった。そうしたなかで、緊急事態宣言を5月31日まで延長することが発表されたのだ。その判断の是非はさておき、実際のところ、緊急事態宣言の延長は休業要請の延長を意味することになる。東京都では休業要請に応じた事業者には追加の協力金が支給されるものの、損失を補填するには必ずしも十分とは言えない。ウイルス禍関連による経営破綻も急増しており、5月15日時点で全国のライブハウス13店(系列店含む)が閉店に追い込まれているという事態だ。そして、その数が今後も増えるのは必至だ。こうした状況のなかで、本来ならば緊急事態宣言が解除される予定だった5月7日には、「#SaveOurLife」が主催する「それぞれのSaveOurLife ー命と仕事を守ろうー 日本に住むあらゆる人々の暮らしと職を守り、継続的な支援を求める記者会見」がおこなわれた。さまざまな業種が垣根を越えて集まった記者会見には、党派を超えた政治家も参加しており、ライブハウスやクラブはもちろんのこと、ミニシアター、劇場、アパレル、保育士、非常勤講師、美容師、居酒屋、劇作家、ホストクラブ、セックスワーカーが登壇して、それぞれの立場からの窮状が訴えられた。それぞれの文化を守るために、さまざまな声があがったのだ。もはや危機的な経済状況は、社会に蔓延しているのだ。その背景には、ライブハウスと同様に、さまざまな業種がおこなってきた自発的な自粛があることは間違いない。もちろん、すべての業種がウイルス感染拡大防止のための休業は止むを得ないと考えている。その一方で、経済活動が止まってしまえば経営が成り立たなくなるのも事実だ。ましてや、国や行政が強制的な自粛を要請するのであれば、そこには補償が付与されて然るべきだろう。
東京都と並んで緊急事態宣言が継続中の大阪府では吉村洋文知事が、緊急事態宣言が解除されたとしても、クラスターが発生した業種は休業要請を継続する方針を明らかにした。当然のことながら、その業種にはライブハウスも含まれている。これまで大阪府では、国とは異なる独自の基準となる「大阪モデル」を用いて感染症対策に取り組んできた。5月16日には休業要請の部分的な解除を示したものの、ライブハウスは先送りになっている。吉村知事は「(緊急事態宣言が)解除されてもウイルスが無くなるわけではない」と述べ、クラスターが発生した接客を伴う夜の飲食店やライブハウスなどについては、休業要請の継続を検討する方向だ(「大阪『ライブハウス』休業要請継続を検討 吉村知事『ウイルス無くなるわけではない』」MBSニュース、2020年5月18日)。すでに緊急事態宣言が解除されている39県でも、ライブハウスへの出入りは控えるようにうながされている。残る8都道府県の緊急事態宣言が解除されても、ライブハウスが先の見えない不安に置かれるのは紛れもない事実だ。そんななか、大阪府では休業要請を受けて休業している府内のライブハウスなどの施設運営事業者に対し、無観客ライブの配信事業を支援する取り組みをはじめた。文化の発信拠点として社会的役割を継続できるようにすることが狙いだという。音楽や演劇、伝統芸能などの文化芸術活動の無観客ライブをおこない、その動画を配信した事業者を対象に上限70万円の補助金を支給するという。対象となる事業者は、府の休業要請を受けて休業を実施した府内の施設のうち、月に平均3回以上文化芸術活動を提供すること、50人以上収容可能な施設であること、8月31日までに有料・無料を問わず配信すること、などが支援の条件になる。すでに、ライブハウスからも問い合わせが寄せられているようだ(「大阪府、無観客ライブ配信に最大70万円補助 ライブハウスなど対象」毎日新聞、2020年5月18日)。こうした行政による支援は、もちろん好意的に受け止めるべきだろう。もっとも、この支援策からこぼれ落ちるライブハウスも多々あることは明らかだ。ましてや、「文化・芸術」をどのようにとらえるのか、その解釈は必ずしも定まったものではないことにも留意しなければならない。
それにしても、スケープゴートやスティグマとなり、自粛をしても補償はなく、緊急事態宣言が解除されても最後の最後まで営業はかなわず、支援策にも制限がかけられる……ここまでくるともはや、ライブハウスの悲劇と言っても過言ではないだろう。